SSブログ

英雄たちの選択 「板垣退助“自由民権”の光と影」 [歴史動画]

(2020日)

明治14年の国会開設の勅諭が政府側と民権側で互いに読み違え、
「政府はしない」との読み、運動を過大に評価していたことの結果だった。

また洋行費スキャンダルやデフレで活動費のために強盗したりする者たちがいることに、
あまり気にせず、民権に徹底することもなく、党が弱体化し解体に導いたようである。
楽観的だったようだ。

そうだとしても、板垣という維新の英雄がいなければ、
自由民権を語るゴロツキ集団という扱いで、もっと残念だったのやもしれません。



eiyu2010091.jpg
英雄たちの選択 「板垣退助“自由民権”の光と影」

----メモ


m3 高知藩大惨事
人民平均 藩役職で
m4 参議に就任
生還論争 m6 辞職
m7 建白書
立志社 自由は土佐の参観よりいず


m10西南戦争 挙兵論を抑える 植木に建白書作らせて
m11 福島 河野広中 
2ねんで農民結社36

板垣は上からの民権の代表
楽観的 政府との全面対決になるとは思ってなかった
 
初期の建白期は冴えてる
 維新の英雄で、死ぬまで維新をやっていた

m13国会期成同盟

 愛国交親者 2.8万 愛知岐阜の農村 兵役免除など
   川上音二郎 
私立国会論

m13.4 集会条例発布  私立国会論頓挫
 板垣 結社をまとめて自由党
m1410 国会開設の勅諭 民権派に機先を
 6か月 地方遊説 岐阜で刺される

-----
互いに読み違い 

私擬憲法

m1510 洋行費スキャンダル 後藤の提案
 幹部去った

 m12から府県会 

福島 議長河野広中 地方税 県令三島謙虚
m15 板垣洋行 絶好調と思っていた 

詐欺強盗で活動資金を デフレ政策で
m166帰国 党弱体化していた

運動に展望が無い中 党組織をどうするか

10万募金できなければ解党と提案
 1万だけだった
 m17 解党へ

3日後 m1711 秩父事件 解党知らず
     1万人へ 郡役所を本部  鎮圧


自由党を復活

   解党したから復活できた、
   継続すべきだった江戸時代の負の遺産
   上からと下からのが結びついていたら





コメント(0)