SSブログ

麒麟がくる (27)「宗久の約束」

(2020日)


kirin270.jpg

永禄11年(1568)7月、信長は、美濃の立政寺(りゅうしょうじ)で足利義昭を迎えた。


kirin271.jpg

手ぶらではなかった。
義昭は民に施せると喜んだ。
信長は不快だったが、光秀は義昭が幼少より仏門に入っていたので仕方なく、
将軍となることを決意されたことを良しと意見した。


kirin272.jpg

義昭を奉じての上洛について朝廷はどう考えているか探ってこいと
信長は光秀に命じた。
京に入ると藤吉郎が魚を売っていた。

京では信長が10万を率いて攻めてくると噂があり、
三好方は緊張しており、素性がバレると命が無かった。
が、その噂は信長の命で、藤吉郎が流し浮足立たせた作戦だった。

関白近衛前久と親しい伊呂波太夫と会うため望月東庵宅へ行き駒と再会。
戦の無い世にするには、幕府を倒さ建て直さねばならない、と説明する。


kirin273.jpg

「皆、そう申して、戦をしてきたのです。」

駒がキレる。


kirin274.jpg

太夫は時勢に長けていた。
第14代将軍足利義栄が倒れ京に入れず、三好の結束は弱い。
戦の金は堺が用意するが、1回の貿易で1万貫の利益を今井宗久が得ると言う。

すると、駒が宗久を知っていると言う。
戦を避けたい駒は、憑りつかれたように語りはじめ、翌日に会わせることにした。


kirin275.jpg

駒の薬の販売権を宗久に与える、ついては三好と手を切り織田についてくれ、とのことだった。
堺の会合衆にとっては、三好でも織田でもどちらでもいいが、
自治を認めることと、京を戦禍とさせない約束を、武装せず入京することで証としてほしいと、今井宗久はのたまう。

この日を『その時歴史が動いた』で駒が歴史を動かした日として放送してほしい。


kirin276.jpg

美濃に帰った光秀は、報告する。
柴田勝家、佐久間信盛、稲葉一鉄ら諸将は激怒。
商人ふぜいが、ということもあった。


kirin279.jpg
NHKオンデマンド 麒麟がくる (27)「宗久の約束」


永禄11年(1568)9月12日、三好の協力が弱くなった六角の箕作城が落城。
同月26日、足利義昭を奉じて入京した。
義昭は清水寺、信長は東寺に陣を構えた。






コメント(0)