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麒麟がくる (41)「月にのぼる者」

(2020日)


天正5年(1577)10月、松永久秀自刃。


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光秀は、丹波の国人衆の縄を解き、許した。
足利義昭が毛利に庇護され、鞆からの反信長の要請があり、
代々の恩顧を裏切る訳にはいかなかった。


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播磨攻略の総大将となった秀吉が、挨拶に来た。
秀吉の弟が盗み聞きした久秀との会話が秀吉を通して信長に伝わり、
安土城で「平蜘蛛」の件を聞かれてシラばくれ信長様との関係が悪くなったと、秀吉を責めた。
秀吉は不義理より不忠を避け、平らかな世にした後に謝れば許してもらえると言い訳した。

秀吉にとって平らかな世とは、「ワシのような貧乏人がおらぬ世の中」だとする。
光秀は、その心を良とし、貸しとした。


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異父弟だったが、裏の活動を吹聴する輩とはいえ躊躇なく部下に殺させた。
異母兄を殺した独裁者よりもマシだと思いたい。

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秀吉が菊丸の素性に気づいたことを、光秀は伝え潮時だとした。
菊丸は駒と共に過ごしたかったことを伝え、去ることにした。


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駒とたまは仲が良かったようだ。


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光秀が安土城に呼ばれたが、前関白近衛前久がいた。
対毛利戦略で九州に行き帰ってきた所だそうだ。
前久は信長に使われることを愚痴るも、天守に案内されまんざらでもなかった。

信長は光秀と2人になると、現関白二条晴良から近衛前久に戻すと語る。
二条は東宮への譲位の話が口先ばかりで話が進まないとした。


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信長が自分への評判が良いと聞かされていることに、
光秀は、将軍義昭や松永久秀が去ったことを持ち出す。
不快にさせたが、「平蜘蛛」を献上。
が、信長は、今井宗久に一万貫で売れるかで値打ちが分かると吐き捨てた。

信長にすれば、天下の茶釜とはいえ、嘘つかれ、
持っている者の心の美しさや覚悟を説教され、
「いらんわ」とけったくそ悪かった。


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大納言三条西実澄は、信長に悩まされていた。
天正6年(1578年)4月に右大臣兼右近衛大将を辞したが、
愚弄なのか真意を測りかねていた。


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その晩、三条西に連れられ、御所に参内。月夜を楽しむものと思われた。


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NHKオンデマンド 麒麟がくる (41)「月にのぼる者」


が、正親町天皇は、月に上がった者を多く見てきたが、下界に戻ってきた者はいなかったと、語る。


最後に、「この後、信長が道を間違えぬようしかと見届けよ」
と命じた。


むろん、「道を間違えた時は、任せる」
だった。





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