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鎌倉殿の13人 (17)「助命と宿命」

(2022日)


寿永3年・治承8年(1184)2月の一ノ谷の戦に勝利した義経は京に凱旋。


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法皇よりお褒めに預かった。
鵯越で馬で駆け降りたと勘違いしておられたが、
絵になるので義経は否定するまでもないとした。


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工藤祐経が義時にお役目を求めてきた。
頼朝に臣従し伊東祐親殺害を命じられたこともあった。


その後、義時は頼朝に3日以内に義高の処分を任された。
平家に殺された父の恨みを抱く自分を知る頼朝は、
義高の恨みは万寿に降りかかると、反対する政子を説得。

が、政子は大姫を思い義高を伊豆山権現に匿おうとするも、本人が拒否。
義高は気高く、頼朝や義時を殺すつもりなので殺すよう返答する。


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義経は左衛門少尉と検非違使を頼朝に無断で頂いた。



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静という白拍子と出会う。


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義仲の手紙を預かっていた巴御前が義高を説得。
頼朝を恨まず生きることとした。


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女装し三浦館で匿われたが、義時を信用できず脱走。


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頼朝が見つけ次第殺せと命じたことにより、
大捜索にて、藤内光澄に見つかってしまう。


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大姫の説得により頼朝は殺害命令を撤回。出家となった。
が、藤内光澄が首を持ち帰ってきた。

その後、義高を斬った藤内光澄の死体が発見される。
政子の「許さない」という意思により頼朝が義時に命じたことだった。


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武田信義の嫡男一条忠頼が、斬られることとなった。
信義忠頼父子が共に頼朝を倒そうと義高を説得していたのを工藤祐経が聞いていた。
頼朝はその工藤祐経に斬れと命じたが、祐経にはできなかった。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


義時は、信義にこれは警告だとし、甲斐には攻めないと告げた。







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