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太平記 第36回~第38回

(1991日)


建武3年(1336)2月、尊氏は京を追われ、九州へ逃れるも、多々良浜の戦いで勝利し九州を平定、一転2か月で京へ向かうこととなった。直義が陸路、尊氏が海上を東進する。

播磨の赤松円心を攻めあぐねていた新田義貞は京に戻るも、叱責を受け再度、出陣、尊氏を兵庫の海岸で待ち受ける。
楠木正成は、京は攻めるに易く守りに難いので叡山に御動座願い、一度京を空にして後に攻めるという案を述べたが、拒絶。やむなく兵庫へ向かった。
必敗の戦に正行を連れていくわけにはいかず、河内に帰らせる。

錦の御旗を飾る舟が自陣を無視して東進するのを見て新田義貞の軍は移動。
が、罠で尊氏勢は上陸。孤立した楠木軍と戦うこととなる。勝負ははじめから分かっていた。正成ら十数名が逃げ、小屋の中で最期の一時を過ごす。

ここにきて後醍醐帝は叡山へ御動座され、尊氏は入京。治天の君光厳上皇の院宣で弟光明天皇が誕生し、2人の天皇が存在されることとなった。
尊氏は叡山へ降伏勧告の使者を遣わし、後醍醐帝は承諾、賊軍となることを恐れた新田義貞には皇太子を奉戴して越前へ行かせることにし、自らは京に入られた。

尊氏の考えは、両統迭立を復活させ光明天皇の次は成良親王にすることとし、
阿野廉子に三種の神器を光明天皇に移されるよう働きかけた。
これで光明天皇が唯一の天皇となることとなったが、後醍醐帝は京を脱出。
吉野へ向かわれた。



(36)「湊川の決戦」
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(37)「正成自刃」
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(38)「一天両帝」
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NHKオンデマンド 太平記






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