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英雄たちの選択 ゼロから世界一へ 「生糸」を巨大産業にした人々

(2023日)


江戸時代最初の100年間で金が4分の1、銀が4分の3 が流出したという。
生糸の輸入に多くを使っていたという驚くべき国富の使い方だった。
さすがに新井白石が輸入量を半減させ、国産をねらう。
質の高い糸が生産されるには、上垣守国の『養蠶祕録』中村善右衛門の「蚕当計」を経なければならなかった。
また、明治5年(1872)に富岡製糸場が設立され明治42年(1909)に世界一の輸出国となる。

富岡製糸場の場合は官営であり1日8時間週6日の労働で..
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おしん 295~297回 完結編 (完)

(1983日)

昭和59年(1984)1月の末で整理することにしたと仁は家族に話した。


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借金は残さなくて済むことが幸いで、既に家族は前向きとなっていた。


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少しずつ荷物をまとめていたが、圭が加賀屋の再興の意思を語る。


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浩太が心配して呼び出したが、おしんは、これで良かったと本心で語る。
しかし、浩太としては自分が土地を売ったことの結果に割り切れなかった。


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従業員20人が辞めると言い出した。
が、どう..
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おしん 292~294回 完結編

(1983日)

年が明け、昭和59年(1984)新春。


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スーパーたのくらの処し方を考えていた。


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仁と道子の離婚話を圭から聞いた初子と希望は、道子を訪ね、
2人とも不動産の権利証を渡そうとした。
が、道子にとってはそういう問題ではなく、受け取らなかった。


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次女のみどりと長女のあかねが仁と暮らすと言い出す。


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おしんも聞きつけ、仁に説教し改心させ、道子に正直に話させた。


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翌朝、道子が..
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おしん 289~291回 完結編

(1983日)

昭和58年(1983)春、17号店オープンの朝に旅に出たおしんは、
山形、酒田、東京、佐賀と足を運び、戻ってきた。


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1か月経ったが、17号店最寄りの駅前に大手スーパーの進出の話を圭に話した。
圭が加代の孫であることもそうだったが、大事な話を後にした。


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その日、田倉家に戻るが、まだ家は無事に残っていた。
道子の怒りが伝わってきた。お茶もださなかった。
理由不明の家出で、嫁姑の問題と噂されて不快極まりなかったからだ..
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おしん 286~288回 完結編

(1983日)

昭和57年(1982)、おしんが81歳の誕生日を迎えた日、
仁は17店舗目の候補地を報告。浩太の並木食料品店のエリアだったため、
おしんが猛反対した。


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仁に話してなかった昔話をしたが、恋人に義理立てする歳でもないでしょうと、
仁は口にし、おしんは3度目のビンタを与えた。
1度目は仁が特攻隊に志願すると言った時だった。
2度目は実家が裕福な道子と結婚するため百合を捨てた時だった。


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スーパーたのくらの17店舗目の..
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おしん 283~285回 完結編

(1983日)

昭和43年(1968)、剛の補導がきっかけとなり、
おしんは仁と道子に同居を求められ、引っ越しとなった。


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道子のペースに従うことにしたが、立ててくれてはいた。


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初子の店も順調だった。


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山形から兄嫁のとらが訪ねてきた。
嫁に追い出されたとのことで、しばらく泊めることにした。
庄司も来て、おしんに世話になったけど、何もしなかったと後悔する。

庄司の家はおしんが髪結いで送金して建てた家だったが、..
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おしん 280~282回 完結編

(1983日)

昭和43年(1968)、6店舗を有するまでになった。


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伊勢で魚の行商から始めた店だった。


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孫の剛が補導された。
名古屋でパチンコをしていた。
道子は誘われたと決めつけていたが、
家庭内の不和と道子の愛情による干渉が原因だった。


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さすがに、仁と道子は考え直し、おしんに同居を求め、
家庭を引き締めてもらうことにした。

初子も誘ったが、使われることが見えていたため、おしんが反対する。


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おしん 277~279回 完結編

(1983日)

昭和42年(1967)、希望の工房の完成祝を開いた。


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浩太の力添えもあったので希望は招いた。
昭和6年(1931)の満洲事変後に加代の墓参りで浩太は特高警察に捕まったが、
その時におしんが仁と希望を連れて来た時以来だった。


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年が明け、おしんは希望と初子の間に立とうとしたが、
初子を傷つけることとなった。



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NHKオンデマンド おしん 277~279回 完結編

兄の庄司と妻のとらが訪ねてきた。..
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おしん 274~276回 完結編

(1983日)

昭和42年(1967)、百合の葬儀に、仁と道子はおしんの反対で欠席した。


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道子に問い詰められ仁は自白。道子は子どもと実家に帰った。
1人になった仁も実家に戻った。


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翌日、川部を訪ね、おしんは頭を下げた。
孫を片親にしたくないとの思いだったので、
川部のお義母さんから何を言われようが我慢した。
さすがに仙造は分かっていたので、失礼な妻を平手打ちにし収まった。
道子を戻すことにはなったが、仁の女性問題が発覚した。..
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おしん 271~273回 完結編

(1983日)

昭和42年(1967)、仁は3号店4号店と店を拡張するため、
おしんが昔、土地建物を担保にして融資したお世話になった知人に出て行って貰った。
おしんは、変わりの土地を用意してあげたため、希望に出してやる資金に困った。


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おしんは、初子に残してやるための株を持って、浩太に会った。
希望が作った壺に魅入り、加代を思い出し快諾する。


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希望にしつこく聞かれたおしんは、浩太のことを話した。


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3号店4号店がオ..
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おしん 268~270回 完結編

(1983日)

昭和42年(1967)、スーパーたのくらも10年経ち、
辰則と禎も独立して店を持っていた。


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仁と辰則が結託して、実家に集まる。


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子どもを2階へ行かせ、おしんにチェーン化を求めた。
さんざん反対していたようだが、おしんは希望の独立を条件として認めた。


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希望の師匠に挨拶し、独立を認めて欲しいと頼んだ。
師匠は快諾し、場所を探してくれることとなった。


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その足で希望宅に行き、圭にプレゼ..
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おしん 265~267回 完結編

(1983日)

昭和31年(1956)春、崎田辰則は禎のプロポーズを断った晩、
仕事を辞めると言い出した。


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辰則にすれば、おしんが禎を大学に行かせたいという気持ちとの板挟みでもあった。
が、禎が心境を正直に語り、おしんは快く許した。
辰則は「こんな私が…」と言ったが、仁と同じように中学を4年で終えて予科練に志願したのでしょう。


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道子が妊娠3か月で田倉へ戻ってきたが、また実家に転がり込んだ。
おしんの「初子はお手伝いではない」が..
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おしん 262~264回 完結編

(1983日)

昭和31年(1956)春、スーパーへとリニューアルした田倉商店だった。


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仁は、春休みに手伝わした禎に、アメリカ帰りの崎田との結婚を切り出した。
禎は怒って翌日、無断で帰ってしまった。


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どうみても真面目そうではなかった。


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下宿先の黒電話で取り次いでもらっていたが、
深夜に出かけることもあり、
お母さんに学費を出してもらってることも考えるようにと、
説教され、少々うざかった。


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あ..
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おしん 259~261回 再起編

(1983日)

昭和31年(1956)春、田倉商店がスーパーとして新装開店する前日。


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準備に忙しかった。売り場を仕切っていたのは、
アメリカ帰りの崎田辰則だった。


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道子が妊娠したと仁から知り、両親が迎えに来た。


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道子の愚痴に対して、おしんが苦労してきたことや、
店の元手が少ないことも承知している母だったが、あくまで娘の味方だった。


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開店直前、気合を入れる。
おしんは、「よろしくお願いします」と..
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おしん 256~258回 再起編

(1983日)

昭和31年(1956)春、田倉商店が拡張工事を終え、スーパーへと脱皮し、
新装開店の準備が忙しい中、希望は結婚式を強行する。


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田倉からはおしんと初子が、仲人は師匠夫妻が正装するも、
本人たちは普段着だった。


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開店にあたり資金が苦しい中、無理して包んだ祝儀だったが、
引出物が希望が作った壺だったことで、口論となる。


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金銭登録機がやってきた。


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使い方を学ぶ。


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仁の..
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おしん 253~255回 再起編

(1983日)

昭和30年(1955)の暮れ、新婚旅行から帰ってきたその日に道子は実家へ帰った。


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翌朝、仁が迎えに名古屋に向かったが、入れ違いで道子と父の仙造が来た。
道子はおしんや初子の働きを自分がすることができないと離婚を切り出した。
が、そこに姑や小姑への悪意はなく、仁への好意を理解したおしんは
道子に、「好きにしていい」と大幅に裁量を認めた。


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翌、昭和31年正月。仁と道子はスキー、希望は春の出品に忙しかった。


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おしん 250~252回 再起編

(1983日)

昭和30年(1955)、道子に同居を求め、嫌なら破談、とおしんが通告した後、
仁は、別れてもいいと同意した。


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翌朝、道子と父の仙造が訪ねてきた。
仁は二階に上がり外出と偽ることにした。
が、道子が同居に同意し、仙造はおしんの言い分を全て認めた。


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初子が二階に上がり、事情を説明。靴を用意するから窓から出るよう指示。
仁は、着替えて、何食わぬ顔で家に入り、
「ただいま~、あら、お父さん、いらしてたんですか」
と..
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おしん 247~249回 再起編

(1983日)

昭和30年(1955)、セルフ方式のスーパーを営むにあたり、資金を土地と保証人で工面でき、設計士を呼んだが、仁は道子の父に断りの連絡を入れておらず、バッティングした。


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おしんは、「お任せします」と言ったことは無かったことにし、
得意気に自分たちでしますと語る。


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川部にとっては衣料品を販売できればよかったので、
資金を出す必要が無くなったと割り切ることにした。


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が、起工式の際、図面に衣料品売り場が無..
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おしん 244~246回 再起編

(1983日)

昭和30年(1955)、百合が田倉を出て希望を頼り窯元で働くことになった。


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希望が田倉に報告に行くと、仁は母に責任転嫁したが、
おしんの怒りがおさまらず、希望が知ることとなる。

はじめは愛していたが、道子と出会い店を大きくするチャンスだと思ったとのことだった。
が、おしんの苦労を見てきたので楽をさせてやりたいとの気持ちも本当だった。
百合が愛想を尽かしたが、仁にとっては幸いだった。


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次の日曜日、道子と父の川..
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おしん 241~243回 再起編

(1983日)

駅前の土地100坪を川村から譲り受け生鮮食料品店を営んでいた。
昭和30年(1955)、26になった仁は東京で講習を受け帰ってきた。

仁はセルフ方式のスーパーにしたい、と言ったが、母は猛反対。
が、思い直したおしんは、2日後には京都で講習を受けスーパーも見てきた。
知り合いの見舞いと偽った。


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その日の閉店時間となり、おしんは自白し、仁に理解を示した。
そこで仁は恋人の道子の父親が資金を出してくれると切り出した。


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おしん 238~240回 再起編

(1983日)

昭和30年(1955)、川村から譲り受けた駅前の土地で店を始めて4年経った。


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17歳で奉公にきた百合はよく働き、20歳となる。
仁と恋仲になっていたのを初子に知られた。


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緑のオート三輪からグレードアップ。朝の仕入れはおしんが担当していた。
お世話になった網元のひさは他界したが、知り合いは多かった。


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前日に「明日、東京行くから」と仁は出発。
「4~5日で戻る」と言うものの、おしんは信用して詮索しな..
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おしん 235~237回 再起編

(1983日)

昭和26年(1951)正月、窯元へ弟子入りした希望は帰ってきたが、
仁は行方不明だった。
そこへ雄の戦友だった川村が訪ねてきた。5年ぶりだった。


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家族は満洲から帰ってこず、天涯孤独の身で危ない橋を渡ってきたと言う。
そして挨拶できる状態となり、初子に求婚する。
雄から聞いていたことと、託されたことで、かけがえのない人となっていた。
が、初子は断り部屋を出て行った。

春になり、川村は三度訪ねてきた。
駅前の土地を購入し、..
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おしん 232~234回 再起編

(1983日)

昭和25年(1950)、行方不明だった初子が4年ぶりに帰ってきた途端に、
希望が陶工になると窯元に住み込みで弟子入りした。

続いて、仁が突然、予科練時代の友人の父が東京の百貨店で店を出すことになり、
就職することになったと、切り出し、翌朝出て行った。


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おしんと初子は2人で店を回した。
この年6月から始まった朝鮮戦争で特需となり、工場は忙しかった。
初子の提案で労働者の帰宅する9時頃を狙ってオート三輪で販売した。

朝の..
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おしん 229~231回 再起編

(1983日)

GHQ占領下の昭和25年(1950)、米兵がたむろするバーに健は入った。


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初子はシラを切ったが、健が力づくで外へ連れ出した。


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おしんの姿を見た初子が逃走するも、60となった健に捕まる。
「ほっといてよ」との言葉に、おしんはキレ、ビンタした。
が、アイドルを辞めて女優になったのだから遠慮せず叩いて欲しかった。
母は娘の化粧を落としてやり、初子の部屋で伊勢へ戻るよう説得する。


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アパートや荷物の処分で..
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おしん 226~228回 再起編

(1983日)

敗戦から5年、昭和25年(1950)となり、おしん50歳で店を持つこととなった。


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網元のひさ宅から引っ越しすることになるが、場所の選定や金策で浩太に世話になった。
浩太のことは子どもには伏せておくことを確認する。


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希望は絵の才能があった。


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仁が先に免許を取り、次におしんが取った。
オート三輪で魚や野菜の仕入れ販売をしていた。


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仁が魚をさばく。


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希望が野菜を売る。..
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おしん 222~225回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和20年(1945)9月頃、家の前所有者が外国から帰ってきた。
引っ越し先が見つかるまで端の部屋に置いてもらう立場となった。


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嫌がらせのように大音量でジャズを聞く。


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おしんと初子は物資の売買をするヤミ屋で生計を立てた。
駅は騒々しかった。


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他のヤミ屋は逃げたが、おしんは怖いもの無しだった。
が、統制物資を売買することが違法とのことで、
いくら正論を言おうが警察にとっては他人事であり署に連行さ..
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おしん 219~221回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和20年(1945)8月16日、竜三が自決。2日後に知らせがあり、
おしんは確認の上、骨壺を持ち帰った。


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家で葬儀をするにも運んでくれる人が見つからなかった。
そういうご時勢だった。

希望は竜三が雄と仁と再会していると言うが、
初子は雄と仁は帰ってくると否定する。


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佐賀から竜三の次兄の亀次郎が清を連れて来た。
遺書が佐賀にも届いたからだった。
清は竜三を責めたが、おしんは立派で誇りに思うと語った。
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おしん 216~218回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和20年(1945)7月、空襲での飛び火で燃えていた家を懸命に消化した。
雄や仁が帰ってきて迎えるためだった。
が、その日、雄の死が知らされた。


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紙切れ一枚で招集し、紙切れ一枚で報告してきた。
おしんは受け入れることができなかった。
泣く初子に、生きているから帰ってくるまで待っとこうと言う。

残酷だったが、おしんが信じて雄の服を繕う姿に初子は涙するしかなかった。


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広島と長崎で原爆があったことを知るも、具..
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おしん 213~215回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和19年(1944)7月7日にサイパン島が陥落したと新聞で知った。
本土空襲の拠点となることを意味した。


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隣組の娘さんの体調が悪く、卵、とろろ芋、鶏肉をお見舞いとして持って行ったが、
軍の仕事で横流しした物を頂きたくないとキッパリと断られた。


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陸軍中佐となった竜三の次兄の亀次郎がやってきた。
おしんが、雄の現在が知りたく手紙を書いたが、手紙やハガキを避け、
口頭で知らせるためだった。

南方へ向かっている..
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おしん 210~212回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和16年(1941)12月8日、連合艦隊が真珠湾を攻撃した。
沸き立つ日本に、4月に京都帝国大学に入学する雄といえども、
愛国青年として興奮し、御国のために命を失うことを誇りとして母に語った。

が、おしんに大事に保管していた雑誌『明星』を渡され悟らされた。
与謝野晶子の「君死たもうことなかれ」が掲載されていた。


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昭和18年10月、雄が伊勢に帰ってきた。
戦域を拡げ、戦局も思わしくなく、20歳以上の文系の学生が出陣すること..
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おしん 207~209回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和15年(1940)春、初子の高等小学校卒業の日だった。


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9歳の時に遊郭への奉公へ行くところを50円で健さんから引き取った。
そして、尋常小学校4年生から6年、高等小学校を2年間通わせた。
14で卒業となり、初子は翌日に山形の実家へ帰ることに決めた。
竜三の気持ちを考えてのことだった。


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が、その日、竜三は新工場の話を持ち帰ってきた。
軍に衣類を納めることになった。縫製の仕事は2人でかつてしていて
関東大震災..
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おしん 204~206回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和14年(1939)春、雄が第三高等学校に入学。
京都で下宿することになった。

昭和12年(1937)7月の盧溝橋事件からシナ事変となり、
「戦争」はまだ続いていた。

若者が徴兵され、石油も入りにくくなった網元のひさ宅を訪ねた。
石油は竜三が回すと伝えるためでもあった。
が、ひさは、東京の息子の世話になるので近々伊勢を去るとのことだった。


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その時、挨拶に来た女性が、浩太の婚約者だった。
並木香子と言い、造り酒屋の..
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おしん 201~203回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和13年(1938)正月、田倉魚店は、陸軍に魚を納入する業者となった。
次兄が陸軍少佐の亀次郎だったことが縁だった。


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ひさが来ていた。
網元のひさから魚を仕入れていたが、漁師が徴兵でいなくなり、
石油が入りにくくなり、困っていた。
軍の納入に関わるなら、その心配もなくなるだろうが、
竜三は別の所から仕入れることになり、ひさは寂しく帰ることになった。


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春、雄は中学3年となり進路を夏休み前までに決めることとなっ..
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おしん 198~200回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和12年(1937)7月、盧溝橋事件により日華事変が始まった。
近衛首相が言った「事変不拡大」との新聞記事に竜三は信頼していた。


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ひさの家に不審者がいるとの噂で、おしんは確認しにいった。
浜で浩太と目が合った。が、浩太は逃げた。
追いついたが、浩太は何も語らず去った。

6年間の監獄での拷問で右足が不自由になり、
「社会主義を捨てます」と誓い転向し自由の身となった。
ひさによれば、転向を恥じ心を閉ざし誰にも会いたくないと..
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おしん 195~197回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和10年(1935)4月、仁と希望が小学校に通うこととなり、
おしんは、カバンなど所持品に名前を書いてあげた。
迷ったが、希望には、「ヤシロノゾミ」と書いた。


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苗字が違っても、兄弟であることを雄も仁も確認した。


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母の加代、祖父母の清太郎とみのが眠る墓に連れて行った。
仁は、仲良くしますと誓う。

ある時、希望が親のことで虐められ家出したこともあったが、
無事を喜び乗り越え、月日が経った。


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おしん 192~194回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和6年(1931)9月の満洲事変で竜三が興奮していた頃、
浩太はモスクワへ向かおうとしていた。
叔母だった神山ひさ宅に寄り、おしんから加代の墓のことを聞く。
が、翌朝、墓の側で特高警察に捕まった。
おしんは、加代の忘れ形見である希望を見せるために寄ったが、
どうすることもできなかった。


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おしんが、墓から戻ると、ひさが来ていた。
特高警察が家に来て、探し回ったとのことだった。

竜三はモスクワへ行く前に日本で捕まった方が..
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おしん 189~191回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和6年(1931)春、おしんは、東京から伊勢へ戻った。
希望(のぞみ)を寝かせた後、
加代、清太郎とみのの3人の骨壺に手を合わせた。


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おしんは独断を竜三に詫びたが、竜三は、加賀屋でお世話になったおしんの当然の義務とし快く受け入れた。


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昭和58年(1983)、希望の息子である圭は、祖母である加代の墓参りをおしんと共にした。
山形へおしんを追いかけ、上野、佐賀、伊勢へと戻ってきたが、
おしんは、加代の孫だとこの段..
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おしん 186~188回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和4年(1929)秋に次男の仁を伊勢で出産した。
翌年の春、りきからの手紙で加代の夫が自殺したと知る。
又、浩太が現れ、加賀屋の倒産と、自殺の原因が相場に手を出したことと知った。


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昭和6年(1931)の春となり、浩太が100円と加代の住所をおしんに手渡した。
おしんに行ってくれとのことだった。東京だった。


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竜三に話し、翌日に東京に向かうこととなる。
が、住所地は震災前はいかがわしい所だったので、
竜三はおし..
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おしん 182~185回 自立編

(1983日)

昭和4年(1929)秋、次男の仁が産まれた日、ふじは倒れた。
白血病だった。日に日に弱っていった。


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医師は、何もしてあげられなかった と頭を下げた。


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ふじが、山形で死にたいと口にした。
ふじにとっては17で嫁ぎ、5人の娘と2人の息子を産んだ家だった。
優しかった姑のなかと夫の作造、娘のはるが死んだ家で死にたかった。

仁は網元の神山ひさが預かってくれた。
駅まではリアカーで、そこからはおしんがおぶった。
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おしん 179~181回 自立編

(1983日)

昭和2年(1927)初秋、「田倉鮮魚」を開き、1年半
昭和4年(1929)春、雄の小学校入学となった。


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おしんは山形の母に雄の入学式に来てもらいたかった。
小学校に通っていなかった母と娘にとっては、感極まる特別の日だった。


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ふじは畑仕事も難しくなり、息子夫婦から露骨に疎まれていた。
兄の庄治から預かってくれと手紙がきた日、おしんの妊娠が発覚。
竜三は、「おしんのためにいてください」と頭を下げた。
迷惑かけるこ..
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おしん 176~178回 自立編

(1983日)

昭和2年(1927)夏頃の台風で、有明海の干拓地が駄目になり、
竜三は伊勢に来た。

おしんは神山ひさ宅でお世話になっていたが、
竜三と町で店を出すことにした。


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網元だったひさや色白の漁師も、引っ越しの朝、見送ってくれた。


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お客さんの法事での料理20人分を受けることもした。
竜三は刺身は無理なので魚を焼いた。


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顔を覚えてもらうため、おしんと共に歩いた。
又、御用聞きもした。

竜三の慣..
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おしん 173~175回 自立編

(1983日)

大正12年(1923)9月1日の大震災で東京から佐賀の田倉家へ移り、
翌13年の晩秋、東京の露店で軌道に乗りかけるも、
14年(1925)に山形に実家に帰った。そして酒田の加賀屋のくにの臨終に立ち会い、
初夏に一膳飯屋を始め、加代と共に働いた。

が、翌大正15年(1926)まだ雪の残る中、伊勢で魚の行商を始めた。
網元の神山ひさ宅でお世話になる。浩太の母の妹だった。


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昭和2年(1927)となるが、近況の手紙を出したものの竜..
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おしん 170~172回 自立編

(1983日)

大正15年(1926)、酒田を去り、伊勢に着いた。


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神山ひさ宅でお世話になることになった。
浩太が貴族院議員の息子だったことを知り驚く。


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仕入れた魚を3割増しで売るのが一般的だったようだ。
が、おしんは初日に全く売れなかったので、タダで配った。
酒田での一膳飯屋の初日に港でおにぎりを配った時と同様だった。


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2日目、カレイを15銭とした。相場より5銭安かった。
畑仕事を手伝ったり、サービスを手厚..
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おしん 167~169回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)、佐賀の田倉家を去り、東京の露店でドンドン焼きを売り、
大正14年(1925)正月を露店商売が繁盛して迎えた。
が、健さんの奥さんの激怒で山形へ帰り、加賀屋の好意で酒田で一膳飯屋を初夏に開いた。
そして、大正15年(1926)を無事迎え、又、竜三から手紙を受け取ることもできた。


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しかし、浩太が、おしんに今の仕事を止めるよう勧めた。
酒を飲んだ客を相手に大変だったことと、竜三との暮らしにマイナスになるとのこと..
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おしん 164~166回 自立編

(1983日)

大正14年(1925)冬、おしんの店に浩太が来て、3人の再会となった。

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加代は、浩太におしんと一緒になってくれると嬉しいと語る。


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浩太は「雄の父親になってもいい」と言ったが、
返事の前に、治安維持法で農民運動への弾圧が起こり、
「浩太の命を懸けた仕事の邪魔をしてはいけない」と、断った。


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明けて大正15年の正月、加賀屋への挨拶の後、りきが訪ねてきた。
りきは浩太が竜三だと勘違いし喜んだ。
おしんの実..
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おしん 161~163回 自立編

(1983日)

大正14年(1925)、佐賀の田倉家を去り、東京の露店でドンドン焼きを売り、
そして、山形の実家へ帰って近所の田畑を手伝い日銭を稼いだ。
が、お世話になった加賀屋のくにが死去。
そして、加賀屋の好意で一膳飯屋をすることになった。
が、加代は儲かるからと酒を出すことにした。


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しばらくすると、「酒を出すな」と男2人がやってきて、
拒否すると、店の中で暴れ出した。


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どうなることかと思いきや、おしんは、「外へ出ろ」と..
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おしん 158~160回 自立編

(1983日)

大正14年(1925)、おしんが8~16歳までの奉公先だった加賀屋のくにが死んだ。
76歳で、おしんが25の時だった。
「加代を頼む」と言われたが、この時は加代により店を出すことができた。

一膳飯屋をすることになり、元手は加賀屋が持ち、
店の名前も加代の好意により「加賀屋」となる。父の清太郎も了承した。
母のみのが暖簾をプレゼントし、加代は招き猫を用意した。


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が、初日の来客は0だった。米を炊いていた分をおにぎりとし、
2..
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おしん 155~157回 自立編

(1983日)

東京で、ドンドン焼きの露店での商売は上手くいっていたが、
年が明けて、大正14年(1925)、山形に帰ることとなった。


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再び佐賀の竜三に手紙を書いた。が、姑の清は破り捨てていた。
竜三の再婚の話を進めるためだった。


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しばらくして加賀屋のくにの危篤を知り駆け付けた。
眠り続けていたが、一度目を覚まし「加代を頼む」と残して76で他界した。
おしんが8歳から16までお世話になり躾と教育をして頂いた大恩人だった。

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おしん 152~154回 自立編

(1983日)

露店での商売が軌道に乗りつつあったが、
世話になっていた健さんの奥さんのような人から怒鳴り込まれ、
おしんは、翌日、出ることにした。大正14年(1925)のことだった。


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健は昨夜の件を詫びた。おしんは、出費を重ねた健に返金しようとしたが、健は固辞する。
それでも返そうとすると、健は一旦受け取り、そのまま優のために使ってくれと渡した。


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おしんは、髪結いの師匠に挨拶し、山形の実家へ帰った。


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母は暖か..
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おしん 149~151回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)秋、髪結いの師匠宅を訪ねたおしんだったが、
手が使えず、別の仕事を探していた。


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そこへ、健さんに露店での商売をやってみないかと誘われる。
成功すれば100円、失敗すれば女郎へ売る、との約束におしんは乗った。


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店を見に行くと、優を皆がかわいがってくれた。


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師匠のたかは、おしんが側にいることを望んだが、
おしんにとっては、手の動かない自分が居る場所と思えず、
健さんに頼んで探..
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おしん 146~148回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)秋、篤子が愛を出産し嫁ぎ先に帰った翌日、
おしんは田倉家を去った。


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長兄の福太郎は餞別を渡した。
合理主義者でもあり、労働に対する対価という面もあったのでしょう。
大五郎も竜三に渡していた。


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源じいの墓で待っていると、恒子が優を連れ出してくれた。
姑の清に疑われ、竜三に感謝されたが、シラを切った。


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当時、佐賀から東京へは3日かかったそうだ。


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髪結いの師匠..
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おしん 143~145回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)秋、篤子は無事に出産。おしんは死産に沈んだ。


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篤子の乳が出ないため、おしんがあげることになった。
これを機に姑は急に優しくなり、篤子は嫌がったが、
篤子の子の名前に、おしんが決めていた「愛」を付けるほどだった。


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しばらくして佐和から手紙が届いた。達筆だった。
出産の祝いの言葉もあったが、佐和の善意は度々おしんを傷つける。


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33日目のお宮参りが済み、篤子は嫁ぎ先へ戻った。
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おしん 140~142回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)、秋になり出産間近となり、
おしんは、田倉家近くの小屋へ移った。


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さすがに、竜三が積極的に掃除した。


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篤子の出産となるが、難産で、夜中、竜三は医者を呼びに行った。
その間に、おしんも陣痛となり産婆を呼ぼうとするも、
台風の中、倒れ気絶してしまった。


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篤子は無事出産し、おしんは死産だった。
が、姑は、近所の者と喜び酒宴を催した。


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眠りから覚めたおしんは、女..
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おしん 137~139回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)梅雨となり、8か月の身重の身だったが、おしんは田植えに出た。
清によれば、出産の前日まで働くのが農家の嫁としては当然のことだった。


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が、さすがに舅の大五郎や長男の福太郎は、おしんの働きを認め、
お札を竜三に渡した。


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山形の母から、おしめが届く。
右手の使えないおしんにとっては、
それを知らない母の優しさが身に染みた。


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昭和58年(1983)83歳のおしんは、田倉家を通り過..
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おしん 135~136回 試練編

(1983日)

大正13年(1924)、佐賀の田倉家の生活は厳しかった。
「同じ家で同時期のお産はどちらかが欠ける」との迷信で、
姑はおしんに出ていくよう画策する。


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長男の福太郎に嫁の恒子が「なんとかならないか」と
見かねて相談するが、「口だすな」だった。


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姑は、昔小作だった男の家へ行けと命じた。
さすがに迷信から家を出るよう言われて、納得できるはずはなかった。


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NHKオンデマンド おしん 135~136回 試練..
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おしん 132~134回 試練編

(1983日)

大正13年(1924)3月の脱走計画は、佐和の裏切りにより頓挫。
おしんはケガをし、田倉家を去ることができなくなった。


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妊娠5か月となり、竜三にバレた。
が、これを機に2人で乗り越えようとなった。

ところがだった。
姑の清に脱走計画が知られ、「出ていけ」と言われた。
耕造の母が清に知らせたからだった。


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耕造の妹が佐和の所持品検査をした際に、おしんから預かった30円を見つけた。
激しい折檻が始まった。
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おしん 129~131回 試練編

(1983日)

大正13年(1924)3月の彼岸の中日の脱走計画は、
佐和の裏切りにより頓挫した。
おまけに、竜三に雄を奪われた際に、ケガをし3日間寝込むことにもなった。


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すぐに出来る仕事を要求されるも、右手が動かなった。
ひと月経ってケガは治り痛みもなくなったが、相変わらずだった。

嫁いだ篤子(竜三の妹)が度々田倉家へ戻り、
篤子の妊娠5か月目の戌の日にする「岩田帯」という安産祈願の習俗の準備で
皿を割ってしまい、姑に忌み嫌われ、おし..
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おしん 126~128回 試練編

(1983日)

大正13年(1924)彼岸の中日、3月20日頃、
おしんは、耐えかね田倉家を脱走した。


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小作の耕造の妻佐和との約束の場所へ向かった。


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ところがどっこい、佐和は竜三にチクった。
てっきり、当面、子どもの面倒は山形から母を呼び寄せ、
おしんは髪結いで生計を立てるものだと考えていた。
私は佐和を憎んだ。


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竜三に「東京へ行くなら雄を置いていけ」と力づくで奪われる。


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帰省していた次兄の..
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おしん 123~125回 試練編

(1983日)

大正12年(1923)9月1日の大震災で、おしんの母のふじは、
加賀屋から物資と旅費、加代からはおしんへの現金100円を預かった。


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年が明け、ふじは加賀屋に挨拶に行った。
嘘の手紙により、おしんが幸せに暮らしていると皆が思い込んでいた。


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が、佐賀の田倉家では、正月の祝いの席からおしんは外れていた。
嫁姑に挟まれた竜三は、別の部屋で寝ることにした。

そのような中、髪結いの師匠が東京に戻って3月から仕事を再開す..
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おしん 120~122回 試練編

(1983日)

大正12年(1923)9月、関東大震災により佐賀に移る。
竜三の実家は裕福な地主だったが、父の大五郎の代で縮小していたため、
竜三とおしんは開墾することとなった。


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田倉家の小作の耕造は竜三の幼馴染だった。
構造の妻佐和は、島原の女郎だったが、構造が田を売り身請けした。
その為、芋を昼食としながらも愚痴も言わずに仕事した。
竜三とおしんは、お握り1つだった。


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ある時、おしんは佐和の髪を結ってあげた。
これが余..
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おしん 117~119回 試練編

(1983日)

大正12年(1923)9月1日に地震。2日間上野公園で過ごし、
3日には火災が治まり、自宅と工場を確認しに行き、師匠やりつ、健と再会した。
また、母のふじが3日に山形から来てくれた。


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健さんが、家を用意してくれ休養し、
恐らく翌日の4日か5日には、佐賀へ向かうことになった。
軍の船で運んでくれるとのことだった。


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10日位には、実家に着いたのでしょう。
が、家も財産も失って避難してきた嫁に対する視線は厳しかった..
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おしん 114~116回 試練編

(1983日)

大正12年(1923)9月1日、田倉商会創業1周年記念の日だった。
更に、新工場完成祝の日だった。


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午前中にお世話になっている方を招く。
12:00から食事だったので、おしんは階段を降りようとした。
11:58分のことだった。
おしんは、幸い、気絶で済んだ。


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目を覚まし、夫婦で自宅へ向かうも、
源じいは雄を守り、他界していた。


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火災が発生。
風下なのでスグに立ち去るよう誰かが教えてくれた。..
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おしん 111~113回 試練編

(1983日)

大正12年(1923)1月におしんは男児を出産し、
竜三はミシン30台で稼働できる新工場建設へと進みまじめた。


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山形県酒田から加代が出産祝に来てくれた。
が、口実で、浩太の居場所が分かったので、戻らない決意で来たとのことだった。
竜三もおしんも反対したが、加代は不退転の決意だった。


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田倉商会から電話し、会うことになった。
浩太は、ミルクセーキを注文する。

労働運動で骨を埋めるつもりだった浩太は、
自分の..
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おしん 108~110回 試練編

(1983日)

大正12年(1923)1月、おしんは男児を出産した。


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竜三は「雄」と名付けた。が、おしんは優しい名前がいいと反対した。
その結果か、『なつぞら』でのなつの子には「優」がつけられた。


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お七夜での祝いの席で、竜三がおしんの稼ぎで飲み歩いたことを母のふじは知った。



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NHKオンデマンド おしん 108~110回 試練編


源じいが、佐賀に手紙で知らせたため、竜三の父が来る。
仕事場を見学し、竜三の..
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おしん 105~107回 試練編

(1983日)

大正11年(1922)9月1日、おしんは、子供服専門店の新装開店を迎えた。
10日程売れずに、諦めたところ大野屋に全て引き取り、飛ぶように売れた。
そして、大野屋へ納めるステージに進んだ。


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そこへ、4人の女性が「お世話になります」と突然、訪ねてきた。
竜三の手配で、3台のミシンに更に3台加え、6人体制となる。
おしんは消極的だったが、暴走する竜三は更に5台加え、11台稼働となった。


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芸者遊びを再開し、有頂天にな..
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おしん 102~104回 試練編

(1983日)

大正11年(1922)頃から、子どもの洋服が普及し始めたようだ。


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ミシンを3台月賦で購入し、2人来てくれることになった。


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型紙から生地を無駄なく裁断しようと教わった。



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大正11年9月1日に開店した。
初日は、竜三が会社を休んでくれ、カフェの染子と茂子が手伝いに来てくれた。
5種類の服を10着用意し、10日で完売すれば商売として成立すると見込んだ。

が、10日間、全くといっていいほど売れず..
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おしん 99~101回 試練編

(1983日)

大正11年(1922)、戦後不況で田倉羅紗店を畳むことにし、
子供服の製造販売を考えていた。
資金は東京神田の露店での在庫処分セールで得ることにしたが、
無断だったため、強制退去処分となった。


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的屋の健さんが、おしんが忘れた売上金の袋を持ってきてくれた。
故郷が山形と同じであり意気投合、露店の手続きをしてくれることになった。
仁義の切り方を教えてもらった。


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源じいも協力。10日程で捌いた。
各生地の仕入れ値..
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おしん 96~98回 試練編

(1983日)

おしんが髪結いの仕事を辞め、竜三は飲み歩くのを止めた。
が、不況は羅紗問屋に厳しく、日々の食事も難しくなった。


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さすがに、竜三は人が変わり、100円を借りてきた。
佐賀時代の小作の家の男で相場師になっていたようだ。
恥を忍んで頭を下げた竜三だったが、別れようとしたギリギリの日だった。


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制服など子ども向けの服を扱おうと考えていたが、
ミシンや職人を雇うにも資金が必要だった。
反対されたので、おしんは黙ってリアカ..
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おしん 93~95回 試練編

(1983日)

大正11年(1922)、戦後不況で田倉羅紗店は開店休業状態だった。
おしんは、髪結長谷川で稼ぎ、竜三と源じいを養う立場となった。


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ふて腐れた竜三は、遊び歩いた。
そのツケをおしんが文句も言わず払った。


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ある時、アテネへ女を連れて来た竜三に、染子がキツク叱った。
おしんの稼ぎで飲み歩く竜三が許せなかった。情けなかった。


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帰宅した竜三は、悪態を吐いたが、
自分の情けない状態もわかっているので、離婚..
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おしん 90~92回 試練編

(1983日)

第1次大戦の戦後不況が続き、髪結い「長谷川」の客は減り、従業員はりつだけとなった。大正10年(1921)の年末から年始にかけては日本髪の客が増え、
おしんは手伝うことにした。師匠から50円を頂いた。
現在で20~30万ほどだが、田倉羅紗店に入れることに、竜三は怒る。


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が、イザとなったら佐賀の実家に戻ると源じいの本音を聞いたおしんは、
師匠の店で洋髪をさせてくれと頭を下げた。
結婚を反対された姑のいる佐賀には行きたくなかった。
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おしん 87~89回 試練編

(1983日)

大正10年(1921年)春におしんは竜三と2人で祝言を挙げた。
1月ほど経過し、竜三の父が来て結婚を認めてもらい、
実家からの電報で帰省し父の葬儀を済ませた。
そして、酒田の加賀屋に挨拶を済ませた後、帰京した。


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カフェ・アテネで女給たちが結婚を祝ってくれた。
おしんとの結婚に反対していた源じいも心から喜んでくれた。
この時、おしんは田倉羅紗店の店員から卸している洋服店が破産すると知らされた。


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竜三や源じいは潰..
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おしん 85~86回 青春編

(1983日)

大正10年(1921年)、おしんが結婚した1月後に父が倒れる。
実家に帰省し、父に結婚を報告し、酒で祝ってくれた夜、永眠となった。
葬儀と初七日を済ませ、酒田の加賀屋に寄った。


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八代家の大奥様のくにが喜んでくれた。


加代は部屋で、おしんに浩太と会ったのか何度も確認するが、
おしんは、会ってないと嘘を通した。


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(政男、みの、おしん、加代)

加代の夫が帰ってきて、おしんが挨拶するも無視される。
政男..
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おしん 82~84回 青春編

(1983日)

大正10年(1921)、春。21のおしんは竜三と2人で祝言を済ませた。
1月経ち、竜三の父が訪ねてきた。


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竜三は、おしんと出ていく覚悟を父に語ったが、その必要は無かった。
12の頃から奉公に来た源右衛門の手紙に信頼を置き、
おしんと田倉羅紗店を続けることを許した。

が、その晩、実家からの電報で父の作造が危篤だと知り、
次の日、帰省する。


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(ふじ、おしん、正助、こう、みつ)

家族が皆、集まった。
長..
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おしん 79~81回 青春編

(1983日)

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源右衛門は奉公先の坊ちゃんが選んだ相手が、
小学校すらロクに通っていない小作の娘おしんということにキレた。


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次の日、竜三はおしんに言って、すぐに2人で神社で祝言を行い、
おしんの荷物を運んできた。
源右衛門は妨害したが、祝言が済んだおしんは人が変わり、
荷物を運び、おかみさんを気取った。
日も経たないのに、竜三のことを「あんた」と呼ぶようになる。


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NHKオンデマンド おしん 79~81回 青春編

源..
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おしん 76~78回 青春編

(1983日)

おしんは入院することになった。過労と脚気だった。
日本人が米食になりビタミンB1が不足し脚気が増えたようだ。
田倉竜三が看病してくれることになった。


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竜三がおしんに入れ込んでいるので、母が病院までやってきた。
もし結婚するなら竜三は勘当であり、店も本家が資本を出したので、
出ていくこと、とされた。
が、竜三は、それでもかまわない、ときっぱりと言った。


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10日程の入院で、竜三が入院代を持つと言ったが、おしんは断..
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おしん 73~75回 青春編

(1983日)

田倉竜三がおしんと結婚するつもりだと母に話をした翌日、
源右衛門が200円を届けに来た。


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手切金だったが、おしんは激怒。
縁談を断る口実に使われたと思いキレた。


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源右衛門から聞いた竜三はおしんに謝罪。本心を話した。
が、おしんは断る。
田倉家は百姓だったが苗字帯刀が許された家柄で、
竜三の母の気位の高さも見抜いていた。


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NHKオンデマンド おしん 73~75回 青春編

見合いの席を放置した..
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おしん 70~72回 青春編

(1983日)

欧州大戦による好景気だったが、年平均約5%の物価上昇に賃金上昇が追い付かず、
労働者や官吏の生活も厳しくなった。


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1920年5月の第1回メーデーでの指導者としての浩太を、おしんは思い出した。


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昭和58年(1983)、おしんは孫と旅の途中だったが、
息子の仁(高橋悦史)が、浩太を訪ねた。
自店のスーパー近隣で、巨大資本が展開してくるのを阻止する
協力をお願いするが、断られた。
現段階では、経緯が全くの謎だった。..
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おしん 67~69回 青春編

(1983日)

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加代は結婚した。東京帝大卒だったが、加賀屋の勢いにより
婿に来てくれることになったと祖母は語る。


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おしんは実家に戻ったが、困窮が続いていた。
欧州大戦で景気が良くなり米価が上昇しても、
儲かるのは地主や米問屋だけであり、小作は苦しくなるだけだった。
借金地獄の中、兄は銃弾を製造する工場に働きに行きたかったが、
田畑を守らなければならず、身動きできない。酒で晴らす日々だった。


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おしんは、東京へ戻った。加..
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おしん 64~66回 青春編

(1983日)

おしんは、髪結いとして近くで独立した。
店は日本髪で、おしんは洋髪だったので影響はなかった。
1か月で47.65円稼いだ。サラリーマンの初任給が20~25円だったという。
20円を実家に為替で送った。


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借りた部屋に鏡台が届けられたが、おしんは返した。
すると、田倉竜三が自ら届けてきた。しかも部屋に勝手入り込んでいた。
以前に銀座のカフェに招いたのに用心棒が暴行を働いた件での詫びだった。


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加賀屋に戻ってから1月..
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おしん 61~63回 青春編

(1983日)

銀座のカフェで、加代と再会した。3年ぶりだった。


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浩太とは良好ではなく、半年会っていないとのことだった。
おしんが小夜の死を伝えるも、
酒田に帰らず浩太を待つと加代は純愛を貫こうとした。


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しかし、一晩、加代は考え、一度は実家に戻ることにする。
さすがに小夜の死もあり両親や祖母に対して申し訳なかった。
そして、荷造りして上野発の夜行列車で帰郷する日、
おしんが加代を訪ね、その後に田倉竜三も訪ねてきた。


..
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おしん 58~60回 青春編

(1983日)

神田のカフェ「アテネ」の女給たちの髪を結うことになる。
師匠から修行中ということで代金は禁止される。
但し、心付けは遠慮なく受け取っていいとなった。

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(中央右 つる)

アテネに入っていた出髪のつるは、無料のおしんに客を取られたが、
文句を言わず、どら焼きを置いて綺麗に立ち去った。


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染子から、恋文の代筆を頼まれ引き受けた。


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八重子からも、恋文の代筆だった。


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茂子からも、恋文の代..
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おしん 55~57回 青春編

(1983日)

山形から上野に着き、日比谷公園を歩きながら圭に昔ばなしをする。

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大正7年(1918)8月3日、富山で米騒動が起こった。
8月13日には、東京の日比谷公園でも群衆となる。
おしんが加賀屋から戻った日だったが、
おしんは、浩太も関わっているのではと考え、上野駅から向かった。

が、前年のロシア革命があり、警察は共産革命に繋がるのではと敏感になり、
単に群衆に紛れていただけのおしんを捕まえた。
警察から連絡を受けた師匠のたかは身..
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おしん 52~54回 青春編

(1983日)

大正5年(1916)、16のおしんは、東京で髪結いの修行に入った。
下働きを率先し、先輩である12のりつを立てた。


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年末年始が書き入れ時だが、師匠は、おしんに"髪すき"をさせた。
通常3.4年の下働き期間を経てのことだったが、
おしんの場合、4か月程だったので、かなり見込んでのことだった。


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が、それに不満を抱いた先輩2人が、やめる、と言い出した。
師匠は、やめたいなら勝手にやめろ、と言い放ったが、
おしんは、..
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おしん 49~51回 青春編

(1983日)

おしんは、山形を出奔、上野に着いた。
姉のはるから貰った住所を探し、髪結い「長谷川」に着いた。
人手が多く、姉のことも言ったが、けんもほろろに追い払われた。


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が、おしんは、潜り込み、勝手に手伝いはじめた。
雑用を率先し、居座ることに成功する。


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しかし、一番若い12のりつに仕事を奪うことになると泣かれ、
おしんは去ることを申し出た。

主人の長谷川たか は、りつのことは心配ないとし、
「つまらないことを言う..
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おしん 46~48回 青春編

(1983日)

姉のはるが帰ってきたが、肺結核で納屋で寝ることになった。
おしんは米で粥を作り、卵も使ってやった。


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製糸工場では麦飯で、寄宿舎は1人1畳、2人で1つのふとんで昼夜交代。
1人が病気なら移った。12時間労働だった。
働くだけ働いて、病気になれば追い出されて死を待つだけだった。


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工場監督だった平野さんとは会話する程度だったが、
はるが好意を抱いていたのを知り、おしんが見舞いに来てくれるよう頼んだ。
はるは死を前に..
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おしん 43~45回 青春編

(1983日)

16になったおしんは、結納を交わし、桜木邸でお披露目となった。

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が、酒に酔って抱きついてきた相手を池に落とした。
そのまま、おしんは桜木邸を去る。


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加賀屋に戻ると、既に電話があり破談となった。
大奥様が執りなして下さるとのことだったが、おしんは断った。
浩太を追いかけて行方不明となった加代のことも話せず、
心苦しかったので、暇をもらうことにした。
それでも、大奥様は退職金を持たせてくれた。



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NH..
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おしん 40~42回 青春編

(1983日)

浩太が宿におしんを呼び出した理由は、
実家からの送金を加賀屋を通して受け取るためだった。
浩太の家は地主だったが、小作の困窮に気づき、
地主へ納める分を5割から3割に減らす運動をしていた。
それで警察に目をつけられ、親にも居場所を言いたくなかったからだった。


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不審人物と嫌っていたおしんだったが、浩太の話を聞き、浜辺で1度会うことになる。


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気持ちは浩太にあったが、結納を迎える。


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ちょうど、その日..
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おしん 37~39回 青春編

(1983日)

大正5年(1916) 、祖母がが他界し7年がたった。

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大奥様のくには、おしんをかわいがり、店のことも覚えさせた。
おしんは16歳。加賀屋の女中頭になっていた。


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加代は「ゴンドラの唄」を口ずさむ。
「カチューシャの唄」と共に松井須磨子が流行らせたそうだ。
絵を学びに東京の学校へ行きたいと言ったが、家族が反対する。


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NHKオンデマンド おしん 37~39回 青春編

海岸で絵を描いている加代を、おしんが..
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おしん 34~36回 少女編

(1983日)

加賀屋に奉公に来て正月を迎えた。
9歳のおしんは、加代と揃いの晴着を着せてもらい、初詣に行く。


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すると、銀山温泉で勤めていた母が父でない男と歩いていた。
目が合ったが、母は去る。
しかし、その晩、加賀屋前まで来ていた母と会うことができた。
不審者と聞いていたが、おしんには分かったのでしょう。
母は、父やおしんに合わす顔のないことはしていない、ときっぱり言った。
気づき影で見ていた大奥様がおしんを力づける。


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おしん 31~33回 少女編

(1983日)

大奥様は、仕事が終わった後、おしんを自室に呼んで、
読み書きを教えてやることにした。


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それを見た加代も、加わることになる。
加代の母みのは、トラブルが続いていたので、
おしんを疫病神の如く冷たく扱った。


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酒田の町にも電信柱が立つことになり、加代は見物していた。
が、倒れて加代の身に危険が迫ったが、おしんが近づき押し倒したことで助かった。
みの は、自分が側にいて何もできなかったのに、おしんに助けて貰ったことに..
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おしん 28~30回 少女編

(1983日)

おしんは奉公先の同い年の加代の部屋に勝手に入り、
机の上の本を借りてしまった。


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泥棒扱いされ、追い出されるかと思われた。
大奥様に真相を聞かれ、読みたかっただけと説明。
実際に本を読むことで、学校にも行っていない奉公人が読めることに
一同は驚いた。かろうじて助かった。


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が、次は、おしんが吹いていたハーモニカを加代が売ってくれと取り上げた。
憲兵に殺された俊作の形見だったので断ると、投げ捨て足で踏みつけた。
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おしん 25~27回 少女編

(1983日)

8歳のおしんは、2年の年季奉公の前に
銀山温泉で働いていた母を訪ね、一晩泊った。


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翌朝、出発前、おしんは母と似ていたコケシを気に入り、
女将の許可を得、母は自分と思って働くのだと与えた。

83歳になったおしんの家に、変色したコケシが残っていた。


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山形県の酒田にある加賀屋(八代家)に着いたものの、
頼んだ覚えはなく、帰るようにと言われた。
が、おしんは、家の状況を話し、帰る訳にはいかないと、
ひたすら頭を..
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おしん 22~24回 少女編

(1983日)

明治41年(1908)、奉公先を脱走し、実家に戻ったおしんだったが、
年季奉公の米1俵を失い、父・作造はブラジル移民を決意した。


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が、年老いた祖母・なかは迷惑になると川に飛び込もうとした。
8歳のおしんが気づき思いとどめさせる。

さすがに作造はブラジル移民の話をしなくなるも、
母のふじは出稼ぎを決意し、末の赤子を他家に譲ることにする。
知らない方がいいと相手先を聞かなかった。
おしんは反対したが、おしんのように苦労させた..
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おしん 19~21回 少女編

(1983日)

おしんは憲兵に連行され尋問を受けたが、俊作と2人で暮らしたことにし
もう一人の爺のことは話さなかった。
憲兵を騙し無事に家に帰った。


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母や祖母は温かく迎えてくれたが、父は脱走兵と共にいたことでキレ、
張り倒され気絶する。顔が膨れ血が流れていた。


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おしんは俊作に貰ったハーモニカを吹いていた。
爺が気づいて訪ねてきた。
3人で暮らしたことを思い出とした最後の挨拶だった。



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はるが奉公から戻って..
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おしん 16~18回 少女編

(1983日)

明治40年(1907)冬、おしんは奉公先を脱走し、雪の中倒れたところを
遠山俊作に助けられた。

ある時、彼は『明星』を手に取り与謝野晶子の詩を読んであげた。


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「 あゝをとうとよ、君を泣く、
   君死にたまふことなかれ、

・・・・ 」

7歳のおしんには難しかったが、
俊作に読んでもらった思い出が残ることになった。


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その頃、実家の母は、おしんが死んだと思い、
米1升を換金し寺に言っ..
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おしん 13~15回 少女編

(1983日)

おしんは奉公先を飛び出した。実家を目指して雪の中を歩いた。
が、山の中で倒れた。


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凍死寸前で助けられた。脱走兵の俊作だった。
1907年の話なので日露戦争のことだった。
小屋の主の爺は息子2人を203高地で失い恨んでいた。
俊作も203高地で撃たれた弾が身体に残り傷もあった。
他人だったが助け合い暮らしていた。

中村雅俊は"おしん"の"しん"は真実の真だの、心だの、神の"しん"だの
おしんを元気づけようとした。わざとら..
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おしん 10~12回 少女編

(1983日)

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背中に赤子をおぶったまま小学校を覗いたおしんだったが、
学校の先生が奉公先と話をしてくれ、学校に通うことになる。


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が、「奉公人の分際で」ということで女中に昼飯抜きにされた。
それでも、学びたかったので、通い続けた。
しばらくすると、担任の先生が気づき、芋などを持ってきてくれた。


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しかし、生徒たちは授業中に赤子が泣いたり、おしめ交換に耐えれず、
「来るな」とおしんを痛めつけた。
彼女は負けなかったが..
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おしん 7~9回 少女編

(1983日)

おしんは米1俵で奉公に出ることになった。
1俵は明治期に4斗約60㎏となった。大人の1年分とのことだが、少食でしょう。


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材木問屋だったので、船賃のかからないイカダで下流まで行くことになる。
冬の寒い川で危険だった。
母が見送り、父も後から追いかけてくれた。


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子守りが仕事だった。
が、付随しておしめの洗濯もある。
部屋の掃除、風呂掃除と7歳の子には過酷だった。



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NHKオンデマンド おしん 7~..
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おしん 4~6回 少女編

(1983日)

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1983年(昭和58)春、83才のおしんは、山形を訪れた。
雪山を孫の圭におぶられ、誰も住んでいない実家につく。


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明治40年(1907)、9人家族だった。
祖母、父母、兄、姉2人、弟妹、おしん、だった。
5反の小作で、半分は地主に納め、貧困だったが、
数え7歳のおしんには、それが分からなかった。


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11と9の姉2人は奉公にでていたが、家族揃って食事をしたシーンを思い出す。
『なつぞら』で仙道敦子(左)と..
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おしん 1~3回 少女編

(1983日)

放送当時、私が理解するにはまだ幼かった。
『なつぞら』に登場した小林綾子が"おしん"だとは気づいた。
しかも今年再放送されているという。
ということで、面白いのか視聴してみた。


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昭和58年(1983)の春に、伊勢地方でスーパーマーケットを経営していた
主人公のおしんは、17店舗目の開店記念式の日に失踪した。83才だった。


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養子の八代希望(のぞみ)、希望の息子の圭(大橋吾郎)、養女の田倉初子

大橋吾郎は、『..
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