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北条時宗 総集編 後編 蒙古(もうこ)襲来

(2001日)

文永8年(1271)、フビライは3度目の国書を博多に送ってきた。
第3代執権北条時宗の兄、時輔は「国を開け」と主張。


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朝廷は、兄弟の対立を利用し時輔を朝廷の使いとしてフビライの重臣趙良弼と接触させた。


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当然に、時宗激怒。

文永9年(1272)2月11日、鎌倉にて時宗の子が襲撃される。
北条時章・教時兄弟の謀反とし時宗は滅ぼした。
また、京都にいた時輔を殺すことにした。父時頼の遺言でもあった。


6度..
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北条時宗 総集編 前編 兄弟

(2001日)

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建長3年(1251)5月、第5代執権北条時頼と葛西殿より時宗は誕生する。
葛西殿は毛利季光の娘で戦で敵となり父を殺した時頼との婚約は破棄されず、恨みを抱いたまま時宗を育てた。(本当は北条重時の娘なのでしょう)


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時輔は時宗の兄で側室の子だった。
鎌倉幕府第6代将軍から上洛にあたり奉供人(ぐぶにん)筆頭を命じられた。
第6代執権北条長時も同意する。
第5代の時頼は病により臨時に長時に譲った。時宗成人までとのことだった。

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