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夏目漱石の妻 (4)「たたかう夫婦」(最終回)

(2016日)

明治40年(1907)足尾銅山で働いていた元坑夫の荒井が、漱石ファンだったことから、
家を訪ね、小説の題材に使って欲しかったので知っている限りを伝えた。

翌年1月に朝日新聞に『坑夫』の連載を開始したが、
文章のチェックを荒井が毎日のように漱石の家で行った。
漱石の弟子たちや妻の従妹から金を借りまくるという事件が起こった。

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その荒井が言うには、次の『文鳥』は理想の女性が書かれているとのことで、
妻の鏡子は、「読ませてください..
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夏目漱石の妻 (3)「やっかいな客」

(2016日)

明治38年(1905)日露戦争の時期、「吾輩は猫である」を『ホトトギス』に発表。
当たった。続いて「坊ちゃん」「野分」だった。

1907年になり、朝日新聞社が月給200円を提示し、漱石は教職を辞めた。

そこから、不審人物が家を覗きにくるようになった。竹中直人だった。


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養父だった。20年も会ってなかったが、来た。
むろん、金銭目的だった。
が、夏目家が買い戻していたが、念書に一筆入れていた。

そこからが恥も外聞もな..
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夏目漱石の妻 (2)「吾輩は猫である」

(2016日)

金之助は2年間の英国留学を命じられた。
「英語研究」に興味はなかったが、内務省局長だった義父の力だったようだ。

が、帰ってきた時には神経を患っていた。
暴力を奮うようにもなり、2人の子と妊娠中の妻に「出ていけ」と追い出しもした。

実家でしばらく暮らし、戻ってくるも、さらに「出ていけ」と怒鳴る。

それでも妻は強引に暮らすが、次は舘ひろしが保証人になってくれと頼んできた。
桂内閣に嫌われ失職し相場で借金を重ねたようだ。

この妻の..
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夏目漱石の妻 (1)「夢みる夫婦」

(2016日)

漱石(長谷川博己)本名・金之助が帝大英文科を卒業し、高等師範学校の英語教師を経て松山で中学の先生をしていた。
明治29年に熊本の第五高等学校で教師をする年、結婚。
当時、医学部を中退し高級官僚となっていた舘ひろしの娘、鏡子だった。

金之助の父が他界し東京に向かう汽車で鏡子(尾野真千子)が倒れた。
流産をし実家での静養の後熊本に戻るも、無理をする。

金之助の学校に会いに行くも、会えなかった鏡子は川に投身自殺をした。

第1話は、イギリ..
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