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英雄たちの選択 橋本左内 維新を先駆けた男 安政の大獄に死す! [歴史動画]

(2018日)橋本左内は幕末に、越前(福井)松平春嶽に仕え安政の大獄で
26で他界した。

天保5年(1834)に医者の子として生まれ、少年期にアヘン戦争(1840)での
清国の顛末を知り、嘉永2年(1849)16歳で大坂の適塾で蘭学を学んだ。

安政2年(1855)春嶽に認められ、武士となり、4年(1857)江戸に向かう。
この23の頃に西郷隆盛に感銘を与えたようだ。

当時、時の13代将軍家定の後継を巡って、南紀派は家茂を押し、
一橋派は御三家、水戸の斉昭の子で慶喜を押していた。
外様は島津斉彬、親藩は左内の親分の春嶽が名を連ねる。

安政5年(1858)老中堀田が、条約勅許を得るため京都に向かう。
左内も24で三条実万らに働きかけを行ったそうだ。

その際に、次期将軍で慶喜を押す運動を展開し、
大老となった南紀派の井伊直弼により、安政の大獄で斬首となる。

「賢を尊ぶためである」という左内のフレーズが、
坂本龍馬にも影響を与えていたようだ。

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http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-06-28/10/5042/2473141/
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