SSブログ

シモン・ペレス 生涯の軌跡 -夢を信じて- [映画]

(2022米)


オスロ合意に尽力し94年にノーベル平和賞を受賞した大統領や首相2回を務めたシモン・ペレスの伝記映画。
ポーランドのビシニエフに生まれ育ち家族とパレスチナへ移住するが、
残った祖父たちはナチスに殺される。
建国前はハガナーという地下軍事組織に入りアラブ人の襲撃からユダヤ人を守っていたが、頭角を現しベングリオンに登用される。
建国前にベングリオンから密輸、盗みを含め何をしてもいいと兵器調達を任される。
そういう生存への剥き出しの活動を経て、晩年には円熟され内外から愛されたようだ。



Shimon Peres.jpg
Netflix シモン・ペレス 生涯の軌跡 -夢を信じて-




コメント(0) 

どうする家康 (41)逆襲の三成

(2023日)


故郷越後を狙っていた会津上杉景勝の軍備増強を使い家康は景勝に上洛を求め、
謀反の嫌疑をかけ会津征伐に向かう。
その際、鳥居元忠に伏見城を三千で守らせる。

三成は大谷吉継の盃を飲み干し決起する。
言いたい放題言うが、全ては家康の非道と秀頼への忠愛だった。


dousuru4101.jpg
NHKオンデマンド どうする家康




<参考>
「失敗の日本史」上杉景勝の判断ミスがなければ徳川家康は関ヶ原で負けていた PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

コメント(0) 

Time does not wait - Motivation Cartoon [短編]



ギクッとしますね。





--------


時間は大切ですが、休養が必要な時もあるものです。

コメント(0) 

大河ドラマ 黄金の日日 第6話 信長狙撃

(1978日)


永禄13年(1570)4月、信長家康連合軍は3万の兵を朝倉に向けたが、
浅井の裏切りにより金ケ崎より撤退することになった。
殿を秀吉が務め、今井から鉄砲を届けることに助左は成功する。


ogon061.jpg

斉藤十郎は矢を受け今井からの証文を助左に託した。
5貫を婚約者に渡して欲しいとのことだった。


ogon063.jpg

逃走中に秀吉と合流し逃げることに成功、
蜂須賀小六宅で二日間眠っていた。


ogon064.jpg

その頃、今井宗久の息子兼久が、甲賀の六角承禎と接触。
信長暗殺計画を企てていた。
京から岐阜へ帰る信長を狙うつもりだった。


ogon065.jpg

助左は十郎の婚約者を探し宗久より受け取った5貫を渡す。
女が言うには婚約の事実はなかった。
死ぬと分かった男が作った悲しい物語だった。


ogon069.jpg
NHKオンデマンド 黄金の日日


兼久が鉄砲の名手善住坊に相手が信長だとは伝えずに暗殺を命じた。
五右衛門より計画を聞いた助左が制止しようと向かっていた。


コメント(0) 

英雄たちの選択 暴れん坊公家 平安朝を救う ~藤原隆家 刀伊の入寇事件~ [歴史動画]

(2023日)


女真族が襲撃してきた刀伊の入寇で活躍した藤原隆家の回。
1019年3月50隻余りの船団が来襲。約1300人が拉致され、戻ったのは約300人だという。

道長の兄道隆ファミリー中関白家の隆盛が道隆の死により道隆道長へと移る。
道長の従者との乱闘となったり、花山法皇奉射事件で不敬事件となり、兄伊周と左遷となるも、怨霊となるのを避ける信心から道長は京に戻したという。
が、目の養生もあり大宰府へ行くことなり、「さがな者」の資質が活かされることとなった。

実際に現場で死を覚悟で働いた者たちを正当に評価しようとせず、
寺社で祈祷する者に重きが置かれる。それは良くないでは済まないでしょう。


eiyu2310261.jpg
NHKオンデマンド 英雄たちの選択




<参考>

平安時代最大の対外危機「刀伊の入寇」…平和ボケの朝廷に代わり、力を発揮した「さがな者」藤原隆家  読売新聞オンライン





コメント(0) 

山内昌之 徳川将軍と江戸幕府~家慶と烈公斉昭 [講義等]

(2021日)



山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授

※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)


(1)12代将軍・徳川家慶とはいかなる人物か
(2)家慶が比較された徳川斉昭の実像
(3)家慶と斉昭の歪な関係性
(4)斉昭と水戸藩、その個性と宿命的矛盾


10mtv_kao2.jpg
10mtv 山内昌之 徳川将軍と江戸幕府~家慶と烈公斉昭


家慶は父家斉、リゴリズム水野忠邦、顧問格水戸斉昭の3名に囲まれ鬱屈していたようだ。
斉昭の理念先行でプロセス無視の危険な面、幕府への人事介入もあり嫌悪、隠居に追い込む。
が、12人の子で家定が残っているのみで、また父家斉の子は外様への養子となり、
将軍候補が不足し、嫌悪する斉昭の子七郎麿を可愛がり一橋に入れる。

斉昭がTPOを弁えないなら春嶽も家定に将軍の資質を口にし、
「一橋はすかん」との発言にまで至ってしまう。

今回は、尊王攘夷の聖地水戸が倒幕の震源地となる破廉恥も含めた具体的所業が明らかにされ、あまりにも人間的な江戸後期~幕末を知ることができ大変有意義な学びでした。






コメント(0) 

柿埜真吾 日本人が知らない自由主義の歴史~後編 11-13  (全13話) [講義等]

(2022日)


柿埜真吾
経済学者/思想史家

※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


(11)ノージックの「最小国家論」
(12)「新自由主義」「新保守主義」とは
(13)「自由な社会」を守るために



10mtv_kao2.jpg
10mtv 柿埜真吾 日本人が知らない自由主義の歴史~後編


ロールズの『正義論』に対して、ノージックが、
そもそも国家は必要なのか、再分配が正義とは本当なのかと疑問を呈した。
ユートピアを求めるなら国家を変えるのではなく共同体を作れとした。
再分配でなく市場経済が理想をかなえる社会だと指摘。

日本で使われる「新自由主義」「新保守主義」が何を指しているのか不明な点、
また、バークの解説と、自由主義と対立するのは保守主義なのか全体主義なのか、
違いが分かる解説をしてくださり大変、有意義でした。





コメント(0) 

どうする家康 (40)天下人家康

(2023日)


石田三成襲撃事件で、加藤清正、蜂須賀家政、藤堂高虎、黒田長政、福島正則の名が示されたが、他に細川忠興、浅野幸長も加わっていたという。
が、近年の研究(↓記事参照)では襲撃事件は発生しておらず訴訟だったという。

「石田三成襲撃事件」で襲撃は起きていない? 画策した7人の武将、そして家康はどうした? web歴史街道

文禄・慶長の役で三成に恨みを抱いた諸将には動機があったが、
忠興と福島は両戦には無関係で、同意した程度だったという。
藤堂は大坂におり、黒田父子は三成とは決裂し家康与党になったというが、
襲撃ではなく、訴訟であり仲裁が北政所、そして家康になったようだ。


dousuru4001.jpg
NHKオンデマンド どうする家康







コメント(0) 

自主制作アニメ「遠い国の唄」 [短編]



初制作とのことでした。
ストーリーが確定していないにしても、どう理解したらいいのか気になります。
続きが見たいです。







--------------


幼馴染が離れることになって、手紙を交わしてはいた。
駅では背中合わせだったが、気づかなかった。

あるいは、姉弟で両親の離婚なのやもしれません。
コメント(0)