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麒麟がくる (37)「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」

(2020日)


元亀3年(1572)10月より、武田信玄が徳川攻めを開始していた。
12月に三方ヶ原の戦いで家康は敗れ、恐怖に震える。

翌元亀4年(1573)2月に信玄が喀血、4月には撤退する。

が、そういう事情を知らない将軍足利義昭は2月挙兵。
三好三人衆、松永久秀、三好義継も加わった。

一度は勅命で和睦するも、7月に再挙兵し、槙島城に籠る。


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義昭は捕まった。光秀は礼節を保つ。


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二条城にいた三淵藤英も降った。
弟の細川藤孝は先に信長に通じていて、
淀城の岩成友通を二人で落とすよう命じられ、助かった。
情けなかった。

長い付き合いの光秀と立場が逆転し負けたと自嘲するも、
三渕との間に勝ち負けはなく、あるのは紙一重の立場の違い、
と、光秀は膝を屈し味方になってくれるよう頼んだ。


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菊丸は信玄の死を確信し光秀に手紙を届ける。


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義昭は諸大名に反信長を迫る手紙を書いていたが、
戦を終わらせるためには戦しかない、という理由だった。

駒は将軍に辞めるよう迫った。
覚慶の頃は純粋に平和を望んでいたが、
はじめから無理ゲーだったのやもしれません。


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7月28日信長は改元した。


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天正元年8月、浅井家の重臣が寝返ったという知らせが入り、出陣。
8月14日には、朝倉家家老山崎吉家が討死。
ここに斎藤道三の孫龍興も戦死したようだが、生存説もあるようだ。


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朝倉景鏡(かげあきら)は裏切ることにした。


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義景は自害。
景鏡は義景の首や母・妻子を捕まえ、信長に降伏。
信長から一字もらい、土橋信鏡に改名。
朝倉家は滅亡した。

浅井長政も小谷城で自害。
秀吉が妻子を助けるシーンは何度か見たが、
COVID-19により、著しく割愛されている。


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朝倉家の宝物を鑑定した今井宗久。
信長から「蘭奢待」に手を出してもいいか聞かれたが、
イエスマンになることにした。
「東大寺」が「蘭奢待」に隠れている名香だった。

増長して裏目となること、帝の不興も想定したのでしょう。


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東大寺正倉院。110年ぶりだった。
3代将軍の義満、6代義教、8代義政が切り取っており、
信長も肩を並べたとご満悦となる。


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NHKオンデマンド 麒麟がくる (37)「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」


切り取った蘭奢待を帝に献上した。
信長は、帝は喜んでくださる、と口にはしたが、
むろん、帝はお喜びにはならず、毛利輝元にやることにした。
暗闘が始まった。





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