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麒麟がくる (38)「丹波攻略命令」

(2020日)


天正2年(1574)7月、領地を没収され光秀の近江坂本城に移った三淵藤英は、自害の命令が降り、光秀が直訴すると言うも、武士の恥として断る。


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長男の秋豪も信長の命で自害する。
次男光行は弟の細川藤孝に預けられ育てられ、また朽木へ養子となった昭貞もいた。


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秋、光秀、佐久間信盛と藤孝は、河内にて三好と一向一揆と戦う。
帰宅すると、斎藤利三が稲葉一鉄から逃げてきていた。
稲葉は土岐頼芸から道三、義龍、龍興、信長と次々と節操なく主を変え、
利三の馬を1貫でよこせとの命が断られると、草履を顔に投げつけた。
命を懸けて忠義を尽く主ならばと光秀の末席に加えて欲しかった。


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光秀は、信長から利三を稲葉に返す命を受けたが拒否する。
激怒する信長だったが、大きな話の前に冷静を取り戻し、バテレンからの土産をやった。
丹波攻略、与力に藤孝をつけ、何年かかってもよい、
利三の件はワシから言っておく。
と切り替えた。


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娘たちに笑われる。


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左馬助は、義龍に敗れ美濃を去った時に叔父光安から預かって以来だった。


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信長への東宮誠仁親王の覚えは良かった。


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(三条西実澄、関白二条晴良)

正親町天皇の譲位に積極的な二条で、1万貫を信長に出させるつもりだった。
義昭追放で連携相手を信長に変えた二条だったが、
信長も二条によく相談したようだ。
激しい義昭との対立だったが、二条との関係には影響なかったようだ。


正親町天皇は関白二条のあせりと看做した。
信長をよく知る光秀に会ってみたいと三条西に言う。


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駒の職場で菊丸の字を見た光秀は思い出した。
武田信玄の死を知らせたメモの筆跡だった。

第1回の放送、1547年の美濃の明智荘での出会いから始まり、
27年間、菊丸は自分の素性を隠し続けた。
徳川の忍びとしか考えられなかったが、
様々な局面で助けられた恩と情に光秀は感動する。


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丹波黒井城の赤井直正は前関白近衛前久の義兄であり、
現関白二条の捕縛から前久を匿っていた。
丹波攻略の命を受けた光秀は会いに行き、事前調査を開始した。

平和的に丹波を支配下に置きたかった光秀だったが、
京と隣接する丹波は腐れ縁の吹き溜まりで、
信長なぞに降る気はさらさらなく戦しかないとのことだった。


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NHKオンデマンド 麒麟がくる (38)「丹波攻略命令」


天正3年(1575)夏、丹波侵攻となる。
斎藤利三はまだ、軍議には参加できないようだった。





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