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麒麟がくる (40)「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」

(2020日)


天正5年(1577)夏、本願寺との戦いの中、松永久秀が逃亡、信貴山城に籠った。


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伊呂波太夫から手紙があり、待ち合わせ場所に行くと、
大納言三条西実澄がいた。
帝が信長の行末を案じていて、光秀と会いたいとのことだった。


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小屋には、伊呂波太夫と松永久秀がいた。
光秀は久秀の離脱を問う。
信長は実力主義での人事かと思いきや、
謙信に柴田勝家を古参であることで対峙させて、秀吉を離脱させ、
大和守護だった原田直政死後に筒井順慶を任命し自分を蔑ろにしたことを非とした。
本願寺が大和一国を任せると約束した以上、毛利・上杉に呼応することが当然だった。

久秀は、信長が欲した「平蜘蛛」を太夫に預け、
久秀が負ければ光秀の手元に行くよう図った。


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信長は、松井友閑を久秀に送ったが、無視されたので、
嫡男信忠を総大将として信貴山城を包囲。


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佐久間信盛は信長から、茶器の回収がかなわねば、見せしめ処刑との命令を受けていた。


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そこへ、細川藤孝が忠興を初陣の挨拶に連れて来た。


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10月10日、松永久秀は自決の上、宝物と共に炎の人となった。


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安土城で帰蝶と再会する。


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信長から久秀と会っていたことを問われたが、
久秀に寝返るな、昔話を少々、平蜘蛛には触れなかったと嘘をついた。
が、それが嘘であると秀吉の報告が真だとした。


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光秀宅に、伊呂波太夫が訪ねてきた。
約束の「平蜘蛛」だった。光秀は、松永久秀の罠だったと笑う。

忍びからの報告で信長が伊呂波太夫が「平蜘蛛」を所持していると知りながら、
戦後に光秀に問うて献上させようとするが、光秀はシラを切ると読み、
事実、「平蜘蛛」は光秀の手元に移った。

信長が光秀の嘘をその場で問題にしなかったのは、
丹波攻めなど敵との戦の中で死んでもらうこととし、
私的な感情を抑えたということなのでしょう。

「平蜘蛛」は、信長と光秀の関係を割く爆弾だったのやもしれません。


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NHKオンデマンド 麒麟がくる (40)「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」


太夫が語った久秀の遺言は、
これほどの名物を持つ者は持つだけの覚悟が必要で、
誇りを失わぬよう、心美しくあれ、と残したと言う。

火薬を詰め自爆したとの説もあるが、
たまの細川忠興への嫁入りの際に移った可能性も否定できない。

要らぬ負の感情を受けたくもないので公開してないだけやもしれず、
誰かが笑っていそうだ。





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