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青天を衝(つ)け (1)「栄一、目覚める」

(2021日)


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徳川家康が語る。


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(平岡円四郎、一橋慶喜)

文久4年(1864)
「既に、徳川の命は尽きております。」と叫んだ男がいて、
慶喜は問いただした。


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(渋沢栄一、渋沢喜作)

円四郎がやらせたことで、慶喜が許し、翌日一橋家を訪ねることになる。


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(第9代水戸藩主徳川斉昭)

時は遡り、天保15年(1844)武蔵国血洗島で栄作が4歳の頃、
水戸城外千波が原では軍事演習が行われていた。

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大砲を連発するも、後日、幕府より隠居謹慎を賜った。
謀反すら疑う幕閣だった。
もっとも、水戸は尊王思想の激震地で過激だった。


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埼玉県血洗島に高島秋帆が罪人として連れてこられた。
どうやら隙を見て脱走したようだ。


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栄一は後の妻となる千代の父の形見の櫛を探していたが、
高島秋帆が拾ってくれていた。


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弘化4年(1847)5月、一橋家当主、第7代慶壽が25で死去。
第8代となる養子の昌丸も同年8月死去。


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第12代将軍家慶の世嗣である後の家定となる四男家祥は子に恵まれず、
この事態に頭を悩ましていた家慶に、老中阿部正弘は水戸斉昭の7男七郎麻呂を勝手に推薦した。


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そして阿部は、家慶の命であるとし反対する斉昭を屈服させる。


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その頃、牢に入っていた高島秋帆を見物してやろうと3人が侵入。
数年前に川で会った少年だと知り、感動する。
多弁なガキだったが、少しばかり指導してやる。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


その年、七郎麿は水戸藩邸から一橋邸に移り、
12月、登城元服し慶喜と改名した。





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