SSブログ

青天を衝(つ)け (5)「栄一、揺れる」

(2021日)


嘉永7年(1854)にペリーの再来航となり、3月3日、神奈川条約が締結された。
5月には細則を定めた下田条約の締結となる。


seiten0501.jpg

時代状況は書籍となり、百姓身分であっても知ることができた。


seiten0502.jpg

その頃、血洗島では、渋沢栄一の姉なかの様子がおかしかった。


seiten0503.jpg

小さな子も真顔で気味悪がる。


seiten0504.jpg

8月にはイギリスと日英和親条約を結ぶこととなり、
江戸城内では徳川斉昭がキレていた。
老中首座阿部正弘に悪態をついていたが、藤田東湖が気苦労を重ねていた。
11月4日に発生したマグニチュード8.4の安政東海地震による津波で、
ロシア船の大破を知ると、斉昭は船員を皆殺しにするチャンスと捉える。


seiten0506.jpg

さすがに、幕閣は愚かではなく、川路聖謨が行き救助した。


seiten0507.jpg

血洗島では、なかの縁談が破談となり、伯母が修験者を連れて来た。
口寄せが60数年前の水子の霊が原因だとしたが、
霊感商法だと気づいた栄一が、元号を聞くことで追い払った。
こうして徐々に栄一は若くして信頼を勝ち得ていった。


seiten0508.jpg

安政2年(1855)10月2日、マグニチュード7の安政江戸地震が発生。
尊王攘夷水戸学の大家藤田東湖が死去。
東湖自身は分別があったのでしょうが、見境の無い過激派を量産したのでしょう。



seiten0509.jpg
NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


コロナ禍であり、こういう撮影には心から敬意を抱きます。





コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。