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青天を衝(つ)け (23)「篤太夫と最後の将軍」

(2021日)


慶応3年(1867)4月パリ万博に幕府も参加するが、
昭武一行はスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスと歴訪する。


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栗本鋤雲は6月に日本を発ち8月にマルセイユについたが、
スイスで昭武に挨拶できたようだ。
600万ドル借款を何としても実現したかったエースの投入だったようだ。


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8月14日、平岡亡き後に慶喜の参謀となった原一之進が襲撃され他界。


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報告を受けた慶喜は、皆を下がらせた。


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その頃、平九郎が渋沢となったが、江戸で暮らすことになる。


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10月6日、大久保一蔵は長州の品川弥二郎と岩倉邸を訪ねる。
岩倉具視より錦の御旗の製作を任された。


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10月12日、二条城に老中らを集め大政奉還の決意を語る。


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少し遅れて根耳に水だった江戸の官僚らは激怒。
大奥事務局長の歌橋は自害を試みるも、タイミング良く天璋院に止められる。


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昭武は、皇帝ナポレオン3世より教育係にヴィレットを付けられた。
一行が求められたのは、まず髪を切ることだった。


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栄一は、銀行家のフロリ・ヘラルドから多くを学ぶ。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


西郷吉之助は伏見薩摩藩邸で天璋院様御守衛の名目で武器や兵を集めていたが、
12月9日、御所を封鎖した。
夕方6時ごろより小御所会議となる。

この場所に慶喜がいないことを問う正論なぞ、西郷には小さなことにすぎなかった。







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