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青天を衝(つ)け (26)「篤太夫、再会する」

(2021日)


明治元年(1868)12月3日、昭武一行は横浜に帰着した。
10日頃に故郷の地を踏むことができた。


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文久3年(1863)に生まれた歌子は5歳になっていた。


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夫の喜作が蝦夷共和国で励んでいると喜ぶ。


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函館では、高松凌雲が敵味方関係なく医療を施していた。


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陸軍奉行並の土方歳三と3歳下の器械頭並の渋沢成一郎は、
呼び捨てを許しあう親友だったようだ。


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故郷を離れる際に父から貰った100両を返すと、そのまま千代に移転する。
散在して25両の借金をしたことは昔の話だった。


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尾高の家に行った。惇忠がいた。
合わす顔が無いと出ていこうとした。


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が、栄一の方が己を恥じていた。
尊王攘夷過激派となり横浜焼き討ち計画の実行寸前に、
長七郎に止められ生きることができたが、その恩を返す前に他界。
また平九郎を見立養子にしたことで身代わりに死んだと、
尾高の不幸の上に自分が生きているとの恥の感覚だったのでしょう。



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(駿府藩中老 大久保一翁)

故郷で3日程過ごし、15日は東京。
20日過ぎに駿府藩庁に行った。
官軍との戦に反対した大久保一翁が静岡藩の実質全権となった。
彼に報告書と昭武から慶喜への手紙を渡した。


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宝台院で謹慎中の慶喜に拝謁。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


慶喜は席を立った。





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