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青天を衝(つ)け (32)「栄一、銀行を作る」

(2021日)


栄一が民部省改正掛出仕して3年半、大蔵省との統合、分離、
そして廃藩置県で再統合し大久保利通が大蔵卿になり廃止され、
旧幕臣が散らされるも、栄一は大蔵少輔となり大蔵省を支えた。


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共にパリで過ごし友人でもあった杉浦譲に辞意を伝える。


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岩倉使節団外遊中、大蔵大輔井上馨が司法省などの予算要求を退けたかったが、
参議の大隈に強要されブチ切れ、5月辞職することにした。
尾去沢銅山事件で井上馨は司法卿江藤新平から追求されてもいた。
渋沢栄一の辞職は、タイミングが重なっただけのようだ。


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その井上馨と渋沢栄一の連名で政府批判記事が新聞に掲載される。


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江藤も激怒。罰金を課したようだ。


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三野村が栄一の自宅を訪ねてきた。
引退後の後任に推薦したとのことだった。
三井の総理事の座だったが、栄一の関心は「合本」だった。


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明治6年8月1日、第一国立銀行の開業となった。
サンドという英国人講師に銀行行政や簿記を学んだ。
佐々木勇之助は後に頭取にもなり栄一を助けた。


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喜作がイタリアから戻ってきた。
明治6年の政変の後、政府は岩倉と大久保が仕切っているとした。
横浜で生糸を扱うという。


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母が他界する。


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明治7年、岩倉具視暗殺未遂事件、佐賀の乱で江藤新平は斬首。
大久保は不平士族の不満の矛先を台湾に向けることとした。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


海運を岩崎弥太郎に任せることにした。
三井小野にお灸を据えてやることを大隈に助言する。

栄一の元に井上馨が小野組破綻情報をもたらしたが、
第一国立銀行に三井組と小野組が100万づつの出資金だったが、
小野組には貸付金が156万あった。古河市兵衛名義で67万だった。
政府から預け金が426万あり一般債権者から110万の負債があった。
計692万で小野組は投資や事業を行っていたが、
政府が担保設定額を0から預け金の3分の1、全額と急激に上げてきた。
三井は踏ん張ったが、明治7年11月に小野組、12月に島田組が破綻することとなった。

大蔵卿大隈が据えたお灸だったということなのでしょう。






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