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青天を衝(つ)け (34)「栄一と伝説の商人」

(2021日)


明治10年(1877)に西南戦争となり、西郷隆盛が他界。
木戸孝允もこの年亡くなり、翌11年、大久保利通が金沢藩士に斬られる。

木戸の子分となって浦上キリシタン弾圧事件での正当化、改心者の帰郷阻止
小野組島田組潰しに手腕を発揮した大隈の時代となったかと思われた。


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そして、イギリス公使パークスに安政の5か国条約の改正を求めた。
不平等条約を徳川幕府の責にするが、下関戦争の賠償の落とし前に関税率が引き下がり、貿易不均衡となったことを伊藤は無かったように振舞う。


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"people"を代表しているかのように主張する2人だったが、
議会を知るパークスにとっては、笑い草だった。


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伊藤は民間で組織を作ることを求めた。


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栄一は、東京商法會議所準備室に人を集める。
鰹節で100両貯めた大倉喜八郎がいた。
岩崎弥太郎は来なかった。


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渋沢家は書生を養っていた。
栄一が米を買い占めており渋沢家襲撃の噂があるとのことだった。


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岩崎が栄一を招いた。はじめは気があった。官に対する憎しみは半端ではなかった。
岩崎は栄一と組みたかったが、「合本」を否定する岩崎と付き合う気なぞ栄一にあろうはずがなかった。


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平岡円四郎の妻やすが居た。
三味線を教えているとのことだった。逃がしてくれた。


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豪商の娘だった伊藤兼子だったが事業が上手くいかず、芸妓となる。
妾での縁談は全て断っていた。


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千代は東京養育院にしばしば通ったようだ。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


伊藤博文と岩倉具視から、アメリカから前大統領グラントを招くので、
もてなして欲しいと頼まれる。

栄一と喜作は、千代と歌子、よしに頼むこととなった。






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