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鎌倉殿の13人 (32)「災いの種」

(2022日)


建仁3年(1203)8月、頼家の危篤に、回復不可能と一同は諦めた。
一幡を鎌倉殿とし天下の野望を抱いた比企一族を北条は皆殺しにした。
が、頼家は奇跡的に復活した。


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一幡は助けるという空約束に政子は気づき当然に怒る。


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政子は、比企が集団自殺したことにした。
頼家が信じるはずもなく、北条の仕業ということに気づく。
妻子の死に政子も加わっていたと思い、「オマエ」呼ばわりする。


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鎌倉から千幡を征夷大将軍に任じてくれるよう文が届けられる。
元服がまだなので、後鳥羽上皇は「源実朝」と名付けてくださった。


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りくは、時政との娘きくの夫平賀朝雅が京都守護職であり、
千幡が征夷大将軍となるので、御台所は京より探し、
息子北条政範が迎えに行くというシナリオを描いていた。


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頼家は、和田義盛と仁田忠常から事情を聞く。比企能員を殺すよう命じた北条時政の首を求めた。
和田は三浦義村と畠山重忠に相談するが、仁田は板挟みで悩み、自決する。



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比奈は実家を滅ぼされても気丈に振る舞い、
自ら離縁を申し出、上洛する。


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泰時は一幡を善児に預けていた。
善児は自ら作ってあげたブランコを切り捨てた。
義時の非情に逆らえなかった。


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10月8日、千幡の元服の儀式が盛大に行われる。


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頼家は修善寺へ向かうこととなる。


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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


頼家の次男善哉に、老婆が現れた。
父頼家を鎌倉より追い出し、兄一幡を殺したのは時政や政子、義時であり、
北条を許してはなりませぬと、語った。
比企一族の怨念、呪いとなった。





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