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昭和の選択 「破局への条約 三国同盟 ~松岡外相と影のキーマン大島浩~」 [歴史動画]

(2022日)


大島浩は父の無念と陸軍の独断を許す文化もあり、ドイツでの駐在武官当時、
ヒトラーのリッベントロップと防共協定を画策し成功し駐独大使となる。
が、39年8月の独ソ不可侵条約、平沼内閣総辞職、ポーランド侵攻となり、大島は帰国。
40年7月の第2次近衛内閣で松岡洋右に呼ばれ軍事同盟の草稿を鉛筆書きしたという。
松岡も自動参戦は避けていたがドイツ本国より求められ、三国で協議する形にしたという。
枢密院も軍を恐れ通してしまい締結となったようだ。




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NHKオンデマンド 昭和の選択






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