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太平記 第42回~第44回

(1991日)

尊氏配下に塩冶高貞がいたが、高貞は南朝との親類筋でもあり後村上天皇の母阿野廉子と通じていた。尊氏は承知していた。その高貞の妻に高師直が恋文を送っていた。
夫の高貞は師直に他人の面前で文を返しやめさせようとする。が、恥をかかされたと師直は塩冶を恨み、南朝と通じていると直義に告発し直義は逮捕しようとする。が、塩冶とその妻は自害する。その経緯を知った尊氏はキレ、諸将の前で高師直を叩きのめす。

ある日、土岐頼遠が酒に酔う中、光厳上皇の牛車に矢を射るという事件を起こす。
戦の功が大きく尊氏は謝罪するつもりだったが、直義は斬首を強行する。康永元年(1343)12月、兄弟が険悪になる様子を心配しながら母が他界。

北畠親房と尊氏が15年ぶりに会い、幕府を認めるなら後村上天皇に京を返上すると申し入れたが、親房は拒絶する。この会談を直義が知り激怒、高師直を執事から外すことで収まることとなった。が直義はそれで飽き足らず高師直暗殺未遂事件となる。

武勇の名高い細川顕氏が「小楠公」楠木正行に敗れ高師直が出陣することになる。
四條畷にて正行を討つ。直義は高師直の戦功が華々しいことに対抗するため、光厳上皇の院宣で戦をすることにし直冬を総大将とする。実の息子を戦にやりたくなかった尊氏だったが、今回は諦めざるを得なかった。

直義を抑えるため、尊氏は高師直・師泰兄弟のクーデターを演出し直義を自邸に逃げてこさせ、引退勧告する。が、直義は、私の屍を越えて行きなされ、と拒絶した。
その頃、数万の軍勢で囲んでいた師泰は、直義だけでなく将軍の殺害をも口にする。



(42)「母の遺言」
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(43)「足利家の内紛」
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(44)「下剋上」
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NHKオンデマンド 太平記






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