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英雄たちの選択 徳川家康 金銀王への道 ~金銀で読み解く戦国ニッポン~ [歴史動画]

(2024日)


1609年にロドリゴ・デ ・ビベロの船が遭難して300名以上を救出して、
技術提供を申し出て様々な条件がついたという。
交渉の詳細は、いくつかの文書を見ても正確には分かりませんが、
家康は、布教の許可即危険という考えになっていたのでしょう。

番組では布教に対して「日本は神国」だから拒否したという。
本音は、「オレが神になる予定なのだから、それは困る」でしょう。

教え、聖歌、清い空間での祈りに当時の人々は現代人よりも惹かれたでしょう。
当時の仏教は真宗を除き少年愛稚児文化だったたので、不潔より清潔を好む。

明治5年の太政官布告で仏教僧の妻帯可となったが、これを家康が実行すればよかった。
それでも心配なら、正教とプロテスタントを入れてきて分散させるなど、
0-100 でなく柔軟に外と交流し知見を輸入し続ける状態を作るべきでしたね。

金銀をもっていると突き抜ける国民経済ができない、と解説あったように、
家康は金銀を頼みにし、尽きた後を考えなかった。

江戸期というのは、ジャニー徳川時代と考えれば分かりやすいのでしょうね。
歌って踊れなくてもセンターを貰える文化では、海外で認めてもらうのは難しい。
汚れた文化の空気を吸いながら、学問であれダンスであれ極める人は稀でしょう。
学問・信仰含め、自由を認める方向で自国産業を育成し産業革命を日本初で起こしてほしかったですね。

喜多川になく家康にあったのが家光で、帝国を確立する。
その資産は莫大だった。



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NHKオンデマンド 英雄たちの選択


<参考>


僧侶が妻帯するようになった経緯について知りたい。 大阪府立中央図書館


家康の外交文書を作成したソテロ 大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ


日本とメキシコの交流400周年にあたって -1609年の遭遇と2009年の回想- 大垣貴志郎 京都外国語大学教授






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