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明治宗教政策 [世界観]

明治元年、王政復古により、神祇官・太政官が設置され、神仏分離・廃仏毀釈により、仏教の地位が低下する。
明治4年、神祇官が太政官下神祇省となるが、平田派国学者による天皇を神格化し神道を国教にと望む目的も含有する。

しかし、西欧文明による政教分離の導入が要請され明治日本は、神社神道を慣習と扱い「非宗教」とし、教派神道・仏教・キリスト教と神仏基を「宗教」とする。
その慣習とされた神社神道と教育勅語を加えて、「政教分離」を建前上実現した、小原氏の言う「天皇制包括主義」が形成され、国家神道となる。
「宗教」とされた神仏基は、上位に国家神道・下位に「宗教」にすらなれない「迷信」の間にサンドイッチ的に位置しており、昭和10年代より終戦にいたる、国体明徴・天皇神格化の流れに抗しきることができず、体制に恭順する。
教育勅語そのものは常識的な徳目であるが、「天皇制包括主義」を機能させる装置でもあった。

私は、文明国の一員となるべく日本式政教分離を実現、帝国憲法・議会政治を導入し、日清・日露戦争を経て、不平等条約撤廃、第1次大戦後には、大国の一員とした明治の功労者たちは立派だと思います。
現在の価値観で、国家神道・天皇制包括主義を断罪してはならないとも思います。


* 宗教のポリティクス―日本社会と一神教世界の邂逅 小原 克博


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