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その時歴史が動いた さらばサムライ ~西郷隆盛 徴兵制の決断~ [歴史動画]

(2005日)江戸幕府を滅ぼした西郷は、疲れて鹿児島で温泉生活に入った。
新政府では役人が賄賂を貪り、政治改革が求められた。

木戸や大隈が中央集権化を図って廃藩置県や官僚機構、税制度を整備したかった。
山県が薩長土で構成する御親兵を提案したようだ。
その兵の上に立つ人間として西郷が相応しかったし、敵にはできなかった。

説得に、大久保が来たが失敗し、弟の従道に折れたようだ。
明治4年正月、西郷と大久保が鹿児島を出た。

廃藩置県の謀議には薩摩4名長州3名だった。
薩摩(西郷隆盛、西郷従道、大久保利通、大山巌)
長州(山県有朋、木戸孝允、井上馨)

明治天皇には西郷から伝え、7月14日、廃藩置県を断行した。

明治6年には徴兵制を導入した。
大村や従道、山県が積極的だった。西郷も説得され納得する。

当時の日本では7万程の軍人がいれば守れたそうだが、
武士は40万もいた。又、近代戦に身分制度は邪魔だった。

西郷はそれを承知で、明治10年に西南戦争で死ぬことを選択した。


西郷隆盛 : 徴兵制の決断 / その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
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