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その時歴史が動いた 古代中国・項羽と劉邦 前編「天下を分けた運命の宴 鴻門の会」 [歴史動画]

(2003日)前半は、鴻門の会まで。いくつかのエピソードの紹介程度ではある。

圧政を行った秦の始皇帝が死に、各地で反乱となる。
楚王の「秦の咸陽へ行く者を王とする」という言葉に名乗りを挙げたのが、
項羽と劉邦だった。

項羽はほぼ直線距離を進み、敵は滅ぼした。
裏切りかねない秦の捕虜20万を生き埋めにもした。

劉邦は、方向を定めず進み、項羽よりも倍近い進軍距離だった。
が、劉邦が先に咸陽についた。

項羽がキレかける。項羽40万 x 劉邦10万なので、
劉邦は臣従の手紙を出し、「鴻門の会」と呼ばれる宴会となる。

劉邦と軍師張良の2人だけで敵陣にいかざるを得なかった。
そこで、屈辱的な対応を受けたが、その内容が今回のメイン。

私は20万を生き埋めにした項羽が義人とされ現在も慕われているというのが
理解しかねますね。


項羽と劉邦 / 前編 / 鴻門の会 / その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
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