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その時歴史が動いた 戦国の剣豪、太平を築く 〜柳生宗矩・「活人剣(かつにんけん)」の真実〜 [歴史動画]

(2007日)父宗厳の代1585年に太閤検地で隠田がバレて所領を没収された。
1594年に家康に200石で宗矩は仕えた。

剣で仕えたはずが、裏仕事を要求される。
元々忍者の出自で伊賀とも関係していた。それを家康は買った。
忍の仕事は当時では表だって誇れるものではなかったようだ。

が、1600年の「関ヶ原」の勝利で秀吉に没収された2000石を戻された。
1601年に秀忠の兵法指南役。
1615年の「夏の陣」で秀忠の陣に攻めてきた豊臣勢7名を宗矩が斬った。

又、家光の兵法指南役にもなり、粗暴な家光に人格的に影響を与え、
それまでの恐怖政治の秀忠時代の武家諸法度が、1637年に改正され軟化する。
そして、全国の大名を監察する大目付となり、睨みをきかした。

剣豪でありながら、人を殺めたのは「夏の陣」の7人だけで、
「活人剣」を提唱し幕府の安定に苦悩し寄与した生涯だった。
改めて、家康は幅広く人を用るのだと寒心しましたね。


柳生 宗矩・戦国の剣豪 太平を築く / その時歴史が... 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus
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