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英雄たちの選択 “日本”を生んだ戦い 新視点!壬申の乱 [歴史動画]

(2017日)

663年、白村江の戦い
672年、壬申の乱


白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に、倭・百済連合軍は敗れた。
さらに唐は高句麗を滅ぼし、倭のみが敵となった。

倭としては、両面外交をとることとなった。
が、670年に新羅が唐と争うこととなり、
唐は、倭に武具や金の提供を要請してきた。

671年に天智天皇が死去。弟の大海人皇子と息子の大友皇子が争うこととなった。

『日本書紀』では出家していた大海人皇子が征伐される前に決起し
わずか4日で3万の兵を集め、乱に勝利したという勝者の正当化文書らしい。
現実には綿密な計画が無ければ無理な話だった。

その解説が今回。

経験値の高かった大海人皇子の勝利となった。
彼はポスト天智の打診を断ったようだ。
引き受けるにしても3度目という常識もあったし、
白村江の敗戦と中央集権化による地方の疲弊の不満が、
自分に向くことも考えることができた。

そういう判断に皇后となり持統天皇となる妻の見識もあったようだ。
古代の東アジア情勢と内乱は、過ぎた遠い過去なのもあり、
不謹慎にも面白いですね。


jinsin.jpg
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