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ライバルたちの光芒 天草四郎VS徳川家光 [歴史動画]

(2013日)1637年に島原の乱となる。

家光はじめ、幕府側は、たかが一地方の農民一揆と侮っていたが、
16歳の少年が総大将であることを知り驚く。

幕府側司令官が板倉重昌。が原城攻撃で失点を重ね、
老中の松平信綱が派遣されることとなった。

板倉は、信綱到着前にケリをつけるため焦り、
翌年元旦に、原城に総攻撃をしかけるも、乱側の銃弾で死亡する。

これほどに乱側が強かったのは、
「関ヶ原の戦」や「大阪の陣」で戦った将たちが乱を指導していたためだった。
一方の幕府側は実戦経験がなかった。
板倉を銃弾で仕留めた男も、その一人だったようだ。

信綱は4日に到着する。
兵糧攻めにて殲滅とした。

そもそも天草四郎と家光とをライバルにするのも無理がある。
乱に至った藩主の松倉の施政が原因だと番組は一応触れるものの、
総じて高校生が表層知識を得る程度の内容になっていたのも、
45分なら無理もないのかと残念な番組ではあった。


ライバルたちの光芒・天草四郎VS徳川家光 投稿者 daisuki-kempou
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