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太平記 第10回 帝の挙兵

(1991日)

元弘元年(1331)4月、後醍醐天皇の倒幕計画が側近の裏切りで幕府の知ることとなった。(元弘の乱)


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日野俊基(榎木孝明)は、再び、六波羅に捕まった。
鎌倉へ送られ、斬首されることとなる。


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(足利高氏、高師直、 、佐々木道誉)

鎌倉では、長崎円喜の後継の内管領長崎高資が、反長崎派を潰しにかかっていた。
佐々木道誉が襲われ、足利高氏宅に助けを求めてきた。

以前、1324年の正中の変で、六波羅の手から逃げて佐々木道誉宅に逃げ込んだことがあった。

道誉は命乞いに長崎宅まで行きたいので運んでくれと高氏に頼んだ。
途中で殺されてはいけないことと、高氏が第16代執権北条守時の妹婿なので、
長崎といえど感嘆に手出しはしないだろうとのことだった。

高師直は迷惑な話と断ったが、高氏は承知した。


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佐々木道誉は、恭しく命を乞うた。


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扉が閉められ、高氏は帰宅。
病床の父貞氏に報告した。


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(護良親王 宗良親王)

幕府は、8月3000の兵を京に送った。
倒幕計画に名前の挙がった僧侶たちが捕まり、
後醍醐天皇も時間の問題なので、天台座主へと送られた2人は、
父を比叡山に迎えることとした。


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後醍醐天皇は動座を決断した。脱出だった。
比叡山に向かったが、敵がいたので、奈良に向かった。
東大寺も敵の手に落ち、笠置山に籠城した。


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TSUTAYA 太平記 完全版 

後醍醐天皇が笠置山にいるとの情報は拡散され、
河内の楠木正成も知ることとなる。

弟の正季が、馳せ参じるべきと喚いたが、
正成は、「負け」でどうしようもないと動かなかった。





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