小原克博「信仰の土着化とナショナリズムの相関関係」(講義「日本宗教」第13回、同志社大学) [講義等]
(2015日)
500年前の今頃、ルターは、あれもいれようか、これもいれようかと思案中だったのでしょう。
10月31日、「95ヶ条の論題」により宗教改革が始まった。
1648年、ウェストファリア体制がはじまり、
1555年のアウグスブルクの和議の徹底が確認され、
領主が領内の宗教を決めることとなる。
そこから、政教分離が始まる。
国家は忠誠心を宗教から国家へ移行させるため、
公的領域と私的領域に分ける。
が、世俗的ナショナリズムも宗教と同様、
殉教と暴力に道徳的許可を与えた。
日本では、その世俗的ナショナリズムの役割を
国民道徳が担うことにより、他宗教の「土着化」の上に君臨した。
----memo
ナショナリズムと宗教
ナショナリズム
日蓮 『立正安国論』 s
B.アンダーソン『想像の共同体』
共同の聖餐(コミュニオン)
背景:宗教改革(1517)
三十年戦争(1618-48)
ウェストファリア条約
アウグスブルクの和議(1555)を徹底。
忠誠心 宗教→国家
宗教 公的領域→私的領域
分け方は国ごと
国家の暴力独占
• 現代のテロはウェストファリア体制が前提とする「制度化さ
れた暴力」への暴力的挑戦となっている。
---
プロテスタント原理
相対的なものが絶対的な主張にプロテストする
偶像崇拝
P. Tillich, The Protestant Era
ナショナリズムと宗教は、殉教と暴力に道徳的許可
(M.ユルゲンスマイヤー 『ナショナリズムの世俗性と宗教性』)。
----
近代化と信仰の「土着化」
• 土着化(indigenization)とは?
近代における土着化は、しばしばナショナリズムと結びついた。
日本仏教は再土着化
----
パトリアを切断 想像の共同体へ
ナショナリズムや宗教概念に負わされていた
超文脈的(transcontextual)特性を相対化
コンテキストを超えたイメージ操作
「国家」を超える、人類としての「普遍性」の追求
----
「ナウシカ」に見る比較文化
ミケランジェロ「最後の審判」のような
西洋のメシア観に対する解毒剤
単に土着化ではなく、
支配的なフレームワークを批判的に見直すことができる
500年前の今頃、ルターは、あれもいれようか、これもいれようかと思案中だったのでしょう。
10月31日、「95ヶ条の論題」により宗教改革が始まった。
1648年、ウェストファリア体制がはじまり、
1555年のアウグスブルクの和議の徹底が確認され、
領主が領内の宗教を決めることとなる。
そこから、政教分離が始まる。
国家は忠誠心を宗教から国家へ移行させるため、
公的領域と私的領域に分ける。
が、世俗的ナショナリズムも宗教と同様、
殉教と暴力に道徳的許可を与えた。
日本では、その世俗的ナショナリズムの役割を
国民道徳が担うことにより、他宗教の「土着化」の上に君臨した。
----memo
ナショナリズムと宗教
ナショナリズム
日蓮 『立正安国論』 s
B.アンダーソン『想像の共同体』
共同の聖餐(コミュニオン)
背景:宗教改革(1517)
三十年戦争(1618-48)
ウェストファリア条約
アウグスブルクの和議(1555)を徹底。
忠誠心 宗教→国家
宗教 公的領域→私的領域
分け方は国ごと
国家の暴力独占
• 現代のテロはウェストファリア体制が前提とする「制度化さ
れた暴力」への暴力的挑戦となっている。
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プロテスタント原理
相対的なものが絶対的な主張にプロテストする
偶像崇拝
P. Tillich, The Protestant Era
ナショナリズムと宗教は、殉教と暴力に道徳的許可
(M.ユルゲンスマイヤー 『ナショナリズムの世俗性と宗教性』)。
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近代化と信仰の「土着化」
• 土着化(indigenization)とは?
近代における土着化は、しばしばナショナリズムと結びついた。
日本仏教は再土着化
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パトリアを切断 想像の共同体へ
ナショナリズムや宗教概念に負わされていた
超文脈的(transcontextual)特性を相対化
コンテキストを超えたイメージ操作
「国家」を超える、人類としての「普遍性」の追求
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「ナウシカ」に見る比較文化
ミケランジェロ「最後の審判」のような
西洋のメシア観に対する解毒剤
単に土着化ではなく、
支配的なフレームワークを批判的に見直すことができる
2017-10-06 00:27
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