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太平記 第12回 笠置落城

(1991日)

元弘元年(1331)9月、幕府軍は後醍醐天皇の籠る山城国笠置山へ向かった。
父の喪中でもあったが、出陣を命じられた足利高氏は参加した。


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(後醍醐天皇、護良親王、楠木正成、、、)

河内の楠木正成は勅使が来たので、笠置山へ馳せ参じた。
策を聞かれた正成は、集まった諸将を地元に返し、
各地で決起することが、逆に笠置山を守ることと述べ、天皇はご理解された。


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「4日後に帰る」と、弟の正季が柳葉敏郎を伝令として楠木邸へ向かわせる。
赤坂城に移動することとなり、正成の妻は、家を燃やした。


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( 、護良親王、四条隆資、楠木正成、 、)

護良親王は笠置山を降り、正成と赤坂城に移った。


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9月20日、持明院統の東宮が践祚し、光厳天皇となられた。


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(千種忠顕、万里小路藤房、後醍醐天皇、、、)

26日、鎌倉軍が笠置山に来た。が、作戦会議が長引く。
しかし、28日、抜け駆けした連中50人が背後から襲い放火。
山を降りるも捕まってしまう。



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天皇が捕まったと聞いた高氏は独断で鎌倉へ帰った。京に向かった。
凱旋する足利勢を見ていた怪しい男がいた。北畠顕家だった。



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TSUTAYA 太平記 完全版 


(高師直、足利高氏、足利直義)

高氏たちは、北畠顕家の凝視に気づかなかった。








(2019/12/18 0:12)
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