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おしん 204~206回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和14年(1939)春、雄が第三高等学校に入学。
京都で下宿することになった。

昭和12年(1937)7月の盧溝橋事件からシナ事変となり、
「戦争」はまだ続いていた。

若者が徴兵され、石油も入りにくくなった網元のひさ宅を訪ねた。
石油は竜三が回すと伝えるためでもあった。
が、ひさは、東京の息子の世話になるので近々伊勢を去るとのことだった。


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その時、挨拶に来た女性が、浩太の婚約者だった。
並木香子と言い、造り酒屋の娘だった。


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満洲事変から少し経って、加代の墓前で特高警察に捕まったので、
昭和6年(1931)の暮れであり、約8年半ぶりの会話だった。

おしんに「軽蔑しているだろうね」と聞くが、
社会主義者から転向したことに自虐的ではあったが、
後悔はしていないときっぱり言う。

浩太はおしんにには分かってほしかった。



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昭和15年(1940)新春、雄が帰ってきた。
竜三が魚だけでなく、かまぼこ、さつま揚げ、ちくわなどの練りものも軍に納入することになり、新工場の開所式を口実に雄を呼んだからだった。


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久々の団らんだった。

が、実家からの手紙で初子が山形へ帰ることになっていた。
それに雄が猛反発。建前は山形へ帰っても今より苦労するとのことだったが、
両想いだった。



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NHKオンデマンド おしん 204~206回 太平洋戦争編


田倉魚店は、開店前でも行列ができ、繁盛していた。
ご時勢で、魚を仕入れることができずに廃業した魚屋が続出する中、
軍の仕事で仕入れることができたためだった。

が、「軍に納入する魚を横流ししている」と投書した者がいて、
竜三は、店を閉めることにした。

配給制になった訳ではないので、横流しではなく、軍も承知していることだが、
くだらない風聞を招きたくなかったためだった。





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(2019/12/19 0:12)
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