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童門冬二 「近代日本をつくった男、渋沢栄一」の素顔 [講義等]

(2019日)


童門冬二
作家


※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


(1)若き日の渋沢栄一
(2)徳川幕府の消滅と「和魂洋芸」
(3)政府の役人を辞し民間銀行創設へ
(4)養老院院長と護民官意識


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10mTV 童門冬二 「近代日本をつくった男、渋沢栄一」の素顔


小説『渋沢栄一』著者へのインタビュー。
渋沢の生涯のポイントを語られる。

豪農に生まれるが、少年時代より目利きの為嫌われ尊王攘夷に走る。
高崎城乗っ取り計画が漏れ全国指名手配となり、一橋家に助けてもらう。
慶喜がナポレオン3世から招かれたパリ万博だったが、
慶喜の弟の昭武を代表とする100名の使節団の事務長を務めるが、
幕府消滅により送金が止まり、窮地となるが、現地の銀行家に助けて貰う。
その時に株式というものを学んだ。

帰国後、慶喜の静岡へ挨拶に行き、10分の1の70万石となった静岡藩に
旧幕臣と家族が集まり困っていたところを静岡商法会所を作る。
新政府が太政官札を普及させるため年3分で貸してやると受け取った金70万を
お茶で成功させ3年で返済。
その腕を見込んだ政府に招かれるが断るも、慶喜の命で仕えることとなる。

大臣が伊達宗城で大輔が大隈重信、局長が伊藤博文だったようだ。
主税頭に抜擢だったようだが、大隈に嫌われたそうだ。
私はてっきり、益田孝と井上馨に引っ張られたと思い込んでいた。

大西郷に陸軍の予算は削るなと言われるが拒んだそうだ。
その後、井上たちと下野し、民間人として経済を動かす。

第一国立銀行という民間銀行を作り、行員に論語を義務化し算盤と一致させる。
また、東京府長だったかつての上司の大久保一翁に頼み込んで、
終身で養老院院長を務めることとした。

井上の尾去沢の件等はこの10mTVでは触れないが、
氏の著作は充実しているのでしょう。






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