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鎌倉殿の13人 (23)「狩りと獲物」

(2022日)


建久4年(1193)5月から約1か月にわたる富士の巻狩りの準備が行われていた。


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義時の異母弟時連が野営地を差配していたようだ。
義時は弟を下がらせ、曽我兄弟が仇討ちではなく頼朝を狙っていることを話し、
時政は驚く。


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初日より、10歳の金剛だったが早速小鹿を射止めた。
鶴丸を恨むことなく健全に育っていた。


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中盤に差し掛かり、工藤祐経が万寿が獲物を仕留められなければ時政の責だと語る。
伊東祐親に追放され苦労したが、今では時政にモノを言えるまでになった。


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万寿が鹿を射止めた。
が、用意されたもので、世襲のためだった。


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比企能員が比奈を連れて来たが、義時が妨害に入る。


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さすがに頼朝はあっさり去る。
これまで何度も窮地があったが助かっていた。


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今回、寝所を抜け出したことで、曽我兄弟の襲撃を避けることができた。
が、身代わりとなり工藤祐経の首が取られることとなった。


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頼朝の死を伝える第一報が伝わるや鎌倉は同様動揺する。
範頼は政子に、私が鎌倉をお守りいたしますと安心させた。
また、万寿も死んだと考えた比企は範頼を鎌倉殿にすることにし説得。
善意だった範頼だったが、その気となる。


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大江が頼朝の生死が不明であり反対する。
が、三善康信が朝廷に使者を送り範頼が後を継ぐことを認めてもらうことにする。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人



義時の言を入れ、頼朝は工藤祐経殺害を目的とした美談に変えた。
斬首される曽我五郎に対しての最大の恥辱でもあった。






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