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英雄たちの選択 天下人を生んだ一族 三河松平家の実像 [歴史動画]

(2023日)


家康の先祖の回で、初代親氏が流浪の僧侶だったが見込まれ松平郷の娘婿となることで始まったという。2代目は弟で次が親氏の息子となり版図を拡大。足利家筋の被官となる。7代清康で三河を統一し尾張に手を出したことで反対派に殺されたようだ。叔父信定が治めることになり広忠は三河から追い出されたが、信定の死で、清康を称え広忠を迎えることになったという。
祖父と父を殺された家康だったが、とりわけ祖父の偉業への敬意と共に過ぎたることを戒めたようだ。

清康の暴力性は自らの死を招いたが、松平定知の暴力性は大樹寺に眠る松平の血を引いていないことのコンプレックスの表れでもあるのでしょう。
一方、受け継がれたと思われるのが、昭和天皇のお考えを知りながら靖国神社でA級戦犯を祀るということをしでかし迷惑と混乱をもたらした松平永芳。様々な論理を考えず強行したのは、清康の血であり、普通の宮司ならできないでしょう。


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英雄たちの選択 神を創った将軍 ~徳川家光の戦略~ [歴史動画]

(2023日)


家康が遺言で日光に祀るよう命じたが、家光は、東照大権現、八幡神と天照大神をセットにして自分も加えて日本の精神世界を統べようとしたようだ。

松倉勝家の過酷残忍な統治から始まり、根絶やしにして首まで切断した島原の乱後のことのようだ。

家光が絵を書いていたこと、マニラ攻略を検討していたことは面白いところだが、
繰り返し家光の人物そのものを面白いと強調することに疑問を持つ人は少なくないでしょう。
家光は、苛烈なことをしようが、祖父の威光を直接受けた恵まれた将軍で、乗り切ることができた。

いわゆる鎖国体制にしても中国朝鮮と交易し、情報はオランダ商館から得てればいいとしたが、結果的には江戸時代で日本を三等国に落としたのは徳川政権だった。
生糸の輸入なぞで17世紀で金銀を大幅に減らし、幕末にハリスとの条約での通貨問題と、日本の富を流出させ国益を著しく棄損する。身分差別とキリシタン迫害を行う。
歌舞伎や浮世絵で文化面で見られたのは、泥の中で咲いた蓮の花なのでしょう。

大量殺害を行った家系であったが、水戸徳川家10代藩主慶篤の孫娘の保子と鈴子がクリスチャンとなられたことはよかった。

松平定矢〇のタクシー運転手暴行事件にしろ、暴力性はそのまま引き継がれており、
それを徳川300年の平和だの、パックストクガワーナなぞで綺麗に正当化したいという動機は、分からないでもないですね。


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英雄たちの選択 夢の植物図鑑 牧野富太郎~苦難突破のオタク魂~ [歴史動画]

(2023日)


小学中退ながら東大で講師をされていた。
裕福とはいえ、祖母の理解は素晴らしかった。
高価な書籍を買い与えるも、牧野は10歳頃で手書きで精巧に絵も写す。
東大の研究室で認められ出入り可能となり、植物図鑑を出版。
日本全国飛び回り採集し40万点になったという。
100年生きたとしても約36500日なので、毎日の作業だけでも大変なのでしょう。
多額の借金返済も奇特な学生により乗り切る。
また、とてもインテリと思えない表情の写真が残されており驚くばかりでした。


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英雄たちの選択 ようこそ黒船 ~阿部正弘とマシュー・ペリー~ [歴史動画]

(2023日)


ペリー対阿部正弘の局面を検証する。
ペリーはロシア等他国が日本と交渉する前に自分の仕事にしたかったようだ。
清の市場、在中国アメリカ人を守ることが主目的であって、日本は経由したかっただけのようだ。大統領からは発砲禁止を命じられ、日本に滞在できるのは20日だけという厳しい状況の中、悟られずに威圧することにしたという。
阿部は、ペリー艦隊を追い払うことで他国との交渉になるよりは独断であっても国書を受け取る方を選択する。
その後に各方面より意見を求めたたために尊攘運動に火がつき倒幕となったが、
それは、ハリスとの条約での通貨問題が油となったのでしょう。
消火活動の再評価は可能としても、もはや築260年の木造幕府はどうしようもなかったのでしょう。


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英雄たちの選択 奔走!家康の最も忙しい年~運命の元亀元年~ [歴史動画]

(2023日)



元亀元年(1570)、家康の最も忙しい年だった。
三河遠江を治めるまでになった家康は岡崎は西に位置しすぎるため、
見付に居城を移そうと工事を行っていたが、信長が反対。
天竜川の東にあり増水時に救援にいけないとのことだった。
浜松に変えたが、正解だった。

上洛し朝倉攻めに参陣するが、浅井の裏切りで撤退。
間もなく姉川の戦いとなり、家康は積極的に川を超え戦ったという。
戻ってきたら、次は三好三人衆との戦いに、将軍義昭から求められる。

信長の弟分と見られがちであったが、将軍と直接の関係で参陣することにする。
約60万石ほどで全国上位10位内の大名となった家康が信長を徹底的に支えることで、
弟分と侮られない存在として武威を示し、次の対武田戦への協力関係を築く。



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英雄たちの選択 南北朝最強! 新時代の設計者 高師直 [歴史動画]

(2023日)



足利家執事で、湊川の戦い、北畠顕家、楠木正行との戦いで勝つという勲功第一の者だったという。
が、戦の過程で石清水八幡宮や吉野行宮を焼き討ちしたことで、批判されることになり、『太平記』で悪し様に書かれることとなったそうだ。

高師直が革新的だったことは、顕家との戦いで分捕切捨の法を採用したこと、
執事施行状で守護に命じて恩賞の土地を保証したことだという。
そのことが自身への求心力となり、直義と対立する一因にとなる。
後継者問題では師直は義詮、直義は直冬を養子としており、観応の擾乱となる。

執事執行状は管領施行状となり、室町幕府の基盤を作った人物だった。


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英雄たちの選択 和歌と刀 細川幽斎・乱世を生き抜く [歴史動画]

(2023日)


細川藤孝は苦労人だった。義輝に仕えるも主は殺され、弟義昭に献身するも、
信長に切り替える。本能寺後は頭を丸め忠興に家督を譲るも、秀吉に重宝され島津を文化力を使い取り込む。そして家康側についたというリアリストだが、刀と和歌の二刀流だった。
関ケ原の際に西軍1.5万を引きつけ500で籠城し2か月持ちこたえ勅命講和に持ち込んだ。時間の問題で敗戦だったやもしれず命懸けであり、命、家、古今伝授を守ったという。
節目節目の動きが的確な特異な人物でした。


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英雄たちの選択 幻の地震予知 ~大森房吉と関東大震災~ [歴史動画]

(2023日)


日本が地震大国だからこそ最先端で世界に貢献できる分野の1つが地震予知であり、
明治元年生まれの大森房吉が「震度」「震源」を「発見」しこの分野の父となる。
ノーベル賞候補にもなったという。
関東大震災を予測していたが公表しなかった。
今村明恒が昼は数学を教え無給で研究していたが、最期の段階で和解する。
責任をどう考えるか、考えさせられる回でした。


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英雄たちの選択 “好奇心将軍”徳川吉宗が挑んだ日本再生 [歴史動画]

(2023日)


吉宗は紀州の4男だが藩主となり質素倹約で藩財政を建て直し、33で将軍となったようだ。
まず全国の人口調査を行うことからはじめたという。
彼の関心は多岐にわたりオランダ商館長を質問攻めにしたという。
4名の識者に全国を歩かせ中国朝鮮にあるような薬草が自生を調べ70種以上見つけることに成功し栽培を始める。
朝鮮人参の栽培は難航し10年以上かけ、繊細な栽培条件を見つけることに成功。マニュアル化し普及させ、やがて輸出が生糸に次ぐことになったという。

吉宗の仁政の第一にあげられた朝鮮人参の国産化を機に、各藩での特産を奨励し、
人々の厚生と藩財政への貢献となるが、幕末雄藩に育ち幕府の退場となったという。

家康が定めた初期設定の根幹を変更しない限りにおいて善政を行った人で、孫の定信の時代になってまでも朱子学や祖法の呪縛を残してしまった。
そこに切り込んでいれば偉人となったのでしょうが、善政が素晴らしいだけに惜しいことです。



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英雄たちの選択 家康 絶体絶命! 「金ヶ崎の退き口」の真実 [歴史動画]

(2023日)


家康が朝倉攻めで最前線にいながら、信長は連絡なしに撤退し、
聞いたのは翌朝の秀吉からの知らせだったという。
金ヶ崎城は三方海であり、また朝倉は整備をしておらず守りがたく、
10㎞離れた若狭の国吉城まで逃げることができるかという問題だった。
が、後15分のところで秀吉がピンチであったが、家康は救ったという。

信長に見捨てられたことで秀吉を助ける義理はないが、
先のことを考えれば対武田で信長の助けは必要であり、勝算がある以上
助けるのは当然であり、そういう積み重ねで武威を獲得していったという。
それが、三河武士団の団結力と強さにもなり、幕府を開くまでの成功となった。


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