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英雄たちの選択 家康が師とした王 ~漢・初代皇帝 劉邦~ [歴史動画]

(2023日)

大河で家康が『吾妻鑑』を読んでいたシーンの記憶があるが、
むろん『史記』も読んでおり劉邦に学び郡国制も参考にしたようだ。
部下を宝のように考えたことも似ているという。

また、許す、吸収していくという劉邦の器を知ることができる。

が、家康は、ここ最近番組でも取り上げられた石川家(数正)や里見一族にしろ、
数多く、関ケ原で東軍に味方しても結局潰すことにする。本質陰キャなのでしょう。

昔、司馬遼太郎の 『項羽と劉邦』で、劉邦の器は空っぽで天井が無いという捉え方を読んだ記憶がある。(本質陽キャ)
また、原田眞人監督の映画『関ケ原』で石田三成や島左近が家康を「狼心狗肺」と評したが、これも原作が司馬なので、2人を全く違うと考えているのでしょう。

家康が劉邦を師としたといっても上っ面だけで、他家を滅ぼしまくる鎌倉時代の方が重要で、
『吾妻鑑』>『六韜』『三略』>>『史記』
位やもしれません。


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NHKオンデマンド 英雄たちの選択








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英雄たちの選択 地の果てまで! ~ザビエル 日本布教の真実~ [歴史動画]

(2023日)


キリスト教を最初に日本に持ち込んだのはザビエルとのことだったが、
実際は古代に景教が入ってきて聖徳太子が良き理解者かクリスチャンとなり調整しようとしたが、滅ぼされることになった説を神社系保守の側が言っていて驚いたことがあった。

今回、ザビエルの活動が簡潔にまとめられ、昔読んだ本に書いてあったようなと思い出す。
橋爪大三郎氏はルーテルでカトリック嫌悪の文章をチラホラ見かけるが、
当時の最高の知識人の判断を全肯定されているようだ。
が、結局、江戸時代で日本を三流国に落とした幕府の判断でしょう。
明治6年で可能だったことを、もっと早く実現していれば、それだけ死傷者が少なく済んだ。
死ななくていい命を必要以上に殺した罪はあるでしょうね。

冒頭の聖徳太子説が正しかったとして、当時の力関係が少し違えば別の日本の姿があったことになる。
「日本とは・・・」「日本人とは・・」とか固定的に考えすぎない方がいいのやもしれません。



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NHKオンデマンド 英雄たちの選択








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豊臣秀吉サミット2023 なぜ天下をとれたのか [歴史動画]

(2023日)


ドラマや中高生向けの番組とは違い、少々マニアックに専門家が真実に迫る。
黄金の茶室、印、苗字、手紙など、歴オタと公言するに至らない私レベルでは、
大変勉強になり、また面白かったです。


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NHKオンデマンド 豊臣秀吉サミット2023 なぜ天下をとれたのか




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英雄たちの選択 竹久夢二の関東大震災 ~100年前の震災スケッチ~ [歴史動画]

(2023日)


最初、明治末頃、風刺画を描いていたが大逆事件で関係者として取り調べを受けたという。それ以降は離れ美人画を多く書いたようだ。大正時代に一世を風靡したという。
が、関東大震災では、スケッチブックを片手に描き、文章も残す。
その記録が新聞に掲載される。視線はギリギリの人に向けられていた。
大衆の無意識をキャッチし表現し、見た者の琴線に触れるのでしょう。
世界恐慌とナチスを肌で感じ帰国する。

確かに1時間で語る表面は、面白い人物なのでしょうが、
「東郷青児と竹久夢二」というページで私生活が激しいことを知り驚く。

以前、この番組で牧野富太郎も登場したが、実は彼は既婚者でありながら14の少女を妾にし、
娘を得たが不作為で病死させるという人非人だった。
今回の竹久も女性の顔や腕に容赦なく傷つける危ない人だった。

簡単に人物像を固めてはいけませんね。



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NHKオンデマンド 英雄たちの選択


<参考>


既婚なのに「14歳の少女」に求愛!植物学者・牧野富太郎の「らんまん」じゃない所業 yahoo ニュース






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英雄たちの選択 どうした?石川数正 ~なぜ家康の忠臣は出奔したのか~ [歴史動画]

(2023日)


松本にて8万石ながら立派な城を数正が作ったという。
家康幼少期からお世話をし酒井と共に徳川家の2本柱だった。
かつて築山殿と信康の救出に駿河まで救出交渉もするが、殺されることにもなる。

小牧長久手の戦が信雄の単独講和となった際、
秀康と共に差し出した数正の息子2人康長、康勝は、後に関ケ原で東軍につくも、
1613年に大久保長安事件の際に目の黒い内に改易としたようだ。

きちんと示し合わせて家康が送り込んだとしたならば、
正式に大功労者として名誉回復されるべきでしょうが、
たとえ徳川のためにもなる出奔であっても、そんな無言の働きまで家康は評価しないのでしょう。


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英雄たちの選択 江戸経済を立て直せ! 大岡越前 知られざる奮闘 [歴史動画]

(2023日)


1716年に吉宗が将軍となり翌17年に大岡忠相は普請奉行から南町奉行となる。
その前1714年に新井白石が慶長水準に三貨を戻し通貨供給量を減らしてインフレ対策を行った。が、諸色高に対して米価が下がっていた。
武士は給与を米で受取り換金するが、低米価は武士の低消費となり景気も下がる。

22年に大岡が両替商へ銀貨高の原因を照会する。
36年に元文金銀が発行された。が、より銀高に導いた。

大岡は、両替商の手代を収監し相場を暴力で操作しようとしたという。
両替商は役人に金を渡すことで助けだし、吉宗は大岡を寺社奉行に出世させることで、
物価政策の担当を交代させた。

金貨・銀貨相場が、法定1両=60匁前後となったのは1740年代末とのことで、
大岡の功績ではないでしょう。

両替商の一斉休業も、開けば銀を失う、当然の合理的な判断で、
そもそも市場というものを暴力で統制することは無理があるのでしょう。


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英雄たちの選択 昭和の選択 平和を手放した日 ~幣原喜重郎 国際協調外交の誤算~ [歴史動画]

(2023日)


昭和31年9月の満州事変に際し、幣原は自身で対応できると踏んでいた。
5か条の基本的大綱での直接交渉を下げて、連盟に入ってもらうことにする。

駐日米大使フォーブスが機密だとの念押しを伝えなかったためスティムソン国務長官談話から新聞記事となる。
外相幣原が軍事機密を外国へ漏洩し軍へ指図する形になったことで激怒とした軍人を抑えることができず中央は関東軍に錦州攻撃命令を出したという。
幣原はこの動きを止めることができず若槻内閣総辞職で12月13日より表舞台から去った。
幣原を追いかけているので省略され、そこから15年間戦争し続けたかのような印象だが、
どうやら参謀総長への委任命令という形で錦州攻撃を中止させ、
12月10日に国際連盟理事会で匪賊討伐権を認められたようだ。

ポーツマツ条約で得ていた旅順・大連と長春以南の鉄道利権だったが、
「満蒙権益」とエリアが拡大され日本の物だと当然のように語られるようになったことが敗戦へ至るそもそもの原因だったようだ。



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英雄たちの選択 戦国パイレーツ 里見一族の野望 [歴史動画]

(2023日)


里見家を追う。河内源氏の流れで、足利権威の下で戦国の中にあり謙信と共に中世に生きた一族だった。実利を重視する近世に生きる北条と江戸湾を挟んで対峙する。
大国北条に対し里見は三方を海に囲まれた安房で田畑に恵まれず漁業と海賊行為、通行料が主たる生業だったようだ。
北条に攻められ謙信を頼ったことにはじまり、太郎扱いされ北条と戦う。
仁政で民に愛され教養あった名門だったが、徳川に潰された悲運の一族だった。


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英雄たちの選択 浅間山大噴火 ~天明3年・驚きの復興再生プロジェクト~ [歴史動画]

(2023日)



天明3年(1783)7月8日に浅間山が大噴火し、1443名の死者数だという。
一番被害の多かった鎌原村は約570名だったが生き残ったのは93名で84%が死亡する。

世襲でない実力での出世の道があった幕府勘定所から根岸が派遣されたという。
生き残った者たちの記録を残し、縁組の面倒をみたりと慈悲ある対応をしたようだ。
名主の2人もここぞと溜めこんだ財産を惜しげもなく使ったことで一代の帯刀と永代の苗字を許されたという。

日照り、台風と違い噴火という天災の中でも極めてレアケースで被害は直接身分を超えて飲みこむので、さすがに人間は立場を超えて皆が、特別な慈悲モードとなるのでしょう。100名前後と個別に面倒見れる数でもあったのでしょう。
堆積した火山灰で水害にも繋がったという。



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英雄たちの選択 天下人を生んだ一族 三河松平家の実像 [歴史動画]

(2023日)


家康の先祖の回で、初代親氏が流浪の僧侶だったが見込まれ松平郷の娘婿となることで始まったという。2代目は弟で次が親氏の息子となり版図を拡大。足利家筋の被官となる。7代清康で三河を統一し尾張に手を出したことで反対派に殺されたようだ。叔父信定が治めることになり広忠は三河から追い出されたが、信定の死で、清康を称え広忠を迎えることになったという。
祖父と父を殺された家康だったが、とりわけ祖父の偉業への敬意と共に過ぎたることを戒めたようだ。

清康の暴力性は自らの死を招いたが、松平定知の暴力性は大樹寺に眠る松平の血を引いていないことのコンプレックスの表れでもあるのでしょう。
一方、受け継がれたと思われるのが、昭和天皇のお考えを知りながら靖国神社でA級戦犯を祀るということをしでかし迷惑と混乱をもたらした松平永芳。様々な論理を考えず強行したのは、清康の血であり、普通の宮司ならできないでしょう。


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