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青天を衝(つ)け (27)「篤太夫、駿府で励む」

(2021日)


明治元年(1868)12月、静岡藩庁にて勘定組頭に命じられたが、
百姓の矜持から断る。
昭武からの手紙の返事を水戸へ届けるつもりだったが、
他の者が届けるとのことにややキレる。


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が、水戸へ行けば昭武に重用され平岡円四郎や原一之進が殺されたように、
水戸藩士の手にかかる恐れからの慶喜の配慮だった。


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水戸では昭武が嘆いていたが、前に進もうと気持ちを切り替えようとしていた。


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その頃、新政府は各藩の石高に応じて新紙幣を年3歩で貸し付けていた。
静岡藩は70万両ほどの割付で年末にまでに53万両の紙幣が届けられるも、半分は使ってしまっていた。
このままでは返済が困難になると、渋沢栄一は平岡準蔵に共力合本法を提案。
まずは正金に換えることにした。


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2月、東京へ行き、三井の番頭三野村利左衛門に換金を申し出る。8割とされた。
栄一は交渉しようとしたが、武士のすることではないと三野村に警戒される。
官軍についた三井は家運を賭けて御用金を途方もなく納めていた。
栄一は栄一で物価が高騰すると予想していたので断ることはしなかった。


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〆粕、油粕、糠などを買う。


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静岡商法会所を設立。
元々は駿府の豪商、茶問屋萩原四郎兵衛も会所を作って特産品を独占的に仕入れて輸出しようという計画があったが、反発もありストップしていたところ、
栄一の計画は渡りに船でもあり協力関係が築かれたようだ。


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川村恵十郎も協力してくれた。


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土方歳三は残ることとし、渋沢成一郎に生きる方が辛いかもしれないが見届けろと、追い払う。


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5月、旧幕府軍は降伏した。
その知らせに大隈邸で伊藤博文がはしゃいでいた。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


大隈はアメリカから買った船が勝利へ導いたとした。
声が大きかった。





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