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光る君へ (17)うつろい

(2024日)


正暦5年(993)9月、悲田院で倒れたまひろだったが、回復する。
乙丸より道長に助けられたことを知る。


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道長は、疫病対策に空き地に小屋を作って罹患者を収容しようと考えたが、
関白道隆は私財でやれと拒否。


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天罰か因果応報か、あるいはカルマの法則なのか、道隆が罹患する。


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道隆は安倍晴明に祈祷を命じたが、晴明は寿命と判断。
祈祷は弟子に任せた。


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改元し、長徳元年(995)2月とな..
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光る君へ (16)華の影

(2024日)


正暦4年(993)7月、道長の義父源雅信が他界。
道長も倫子も栄達を望まなくなった。


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まひろは、石山寺の土産にお守りを買ってきてあげた。


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年が明け、内裏登華殿に公卿が集う。
行成が古今和歌集の達筆での写しを献上する。


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ある時、一条天皇以下、登華殿で楽器と舞を楽しんでいたところ
詮子が咎める場面となる。


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が、伊周が慇懃無礼な説教を始める。
その夜に放火騒ぎがあり、詮子も容疑..
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光る君へ (15)おごれる者たち

(2024日)


永祚2年(990)、道隆は娘定子を中宮にする。


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3日後、妹であり一条天皇の母である詮子を内裏から丁重に追い出す。

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道兼は酒乱となり公任の家で5日間居座っていた。
さすがに通報があり道長が引き取りに行く。
摂政の首を取って死ぬと思い詰めていた。


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道隆の妻貴子が娘定子に教育する。


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伊周が叔父道長を舐めてたが道隆が止めさせる事態となる。


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定子より「清少納言」を与えられ..
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光る君へ (14)星落ちてなお

(2024日)


永祚2年(990)道長は自宅でまひろと再会。


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上の空だった。


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5月、兼家は3兄弟に出家を宣言。道隆を後継とする。
道兼がキレ酒乱となり妻子が去る。


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7月、道長の妻明子の呪詛が実り兼家が他界。


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宣孝から兼家の死を知る。


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道隆の意により伊周が17で蔵人頭となる。


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ききょうがまひろを訪ねてくる。
離婚して子どもは夫に預け、自分は宮中で女房として仕..
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光る君へ (13)進むべき道

(2024日)


寛和2年(986)6月の花山天皇の出家から一条天皇の践祚、兼家摂政となった政変から4年経ち、永祚2年(990)、一条天皇の元服に続き道隆の娘定子が入内。3つ上だった。


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一条天皇は遊んでもらっていた。


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道兼は7歳になる娘に入内を言い聞かせる。


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ある会議で兼家が、老いを明らかにした。


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復讐を胸に秘める明子が兼家に近づき扇を譲り受ける。
呪詛に必要だった。


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NHKオンデ..
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光る君へ (12)思いの果て

(2024日)


寛和2年(986)8月、為時は自宅を留守にしていた。


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なつめの看病をしており、まひろが着替えの取り換えをしていた。
為時は、娘さわを連れてくるようまひろに頼む。
娘と再会したなつめは安らかに息を引き取る。


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宣孝がまひろに北の方を喪った実資を勧める。


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が、赤痢に罹患。衰弱していた。


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道長は左大臣家に兼家の文を届けた。
源雅信は藤原北家の増上を嫌っていたが話を進める。


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光る君へ (11)まどう心

(2024日)


寛和2年(986)6月23日、花山天皇が出家された。
懐仁親王が践祚され、兼家が摂政となる。為時は失職することとなった。


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まひろは左大臣宅へ行き倫子に話すが、摂政の決定を覆すことはできないと語る。
東三条殿へ行くと口にすると、おやめなさいと制止される。


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が、まひろは兼家を訪ねる。
幸い通してくれ事情を話すが、一度裏切った者に情けはかけないと言明される。


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失意で帰宅すると宣孝に励まされる。
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光る君へ (10)月夜の陰謀

(2024日)


寛和2年(986)、兼家は安倍晴明の策を採用。
花山天皇の出家、孫の践祚、自分が摂政となる日を6月23日と決める。


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道綱も呼び役割を与えた。
兼家としては、花山天皇が皇子を産む前に出家、懐仁親王の践祚。
次の東宮に別の孫である冷泉天皇と娘超子の子居貞親王とする計画だった。


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出家に義懐は反対する。道兼は自分も出家のお供をすると言う。
この頃、花山天皇の伯母や姉も他界、母も幼くして亡くしており、
花山天皇自身..
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光る君へ (9)遠くの国

(2024日)


寛和2年(986)、東三条殿に侵入した盗賊を捕まえたが直秀ら散楽の者たちだった。
道長は下の者に検非違使に引き渡すよう命じた。


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検非違使の看督長は骨の一本でも折って釈放すると言うが、
道長は手荒なことをしないようにと袖の下を握らせた。

この検非違使の役人たちは、中下級貴族の軍事貴族で、
後の源頼朝の祖となる清和源氏の源道仲満仲は兼家に仕えていた。


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そこへ看督長の下で働く元罪人の放免に捕まったまひろが連れ..
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光る君へ (8)招かれざる者

(2024日)


寛和元年(985)7月、花山天皇の女御忯子が他界する。
道長の父・兼家の弟為光の娘であり懐妊していた。


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義懐が年末までに権中納言になるとのことを聞き、
3人が結束し義懐の増長を防ごうと確認。
兼家が左大臣源雅信に倫子と道長の縁談を申し入れる。


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即答を避けた雅信だったが、右大臣家の増長を嫌っていた。
関白頼忠の嫡男公任を考えていた。


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寛和2年(986)となり、義懐が権中納言となり帝の命を下す..
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光る君へ (7)おかしきことこそ

(2024日)


寛和元年(985)7月、花山天皇の女御忯子が他界する。
道長の父・兼家の弟為光の娘であり懐妊していた。


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兼家は、お腹の子への呪詛を依頼したが母まで頼んだ覚えはないと安倍晴明を責めるも、その方が兼家にも国にとっても吉だと居直る。


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花山天皇は兼家と繋がっている人間ばかりで、信頼できるのは義懐と為時だけだと言ってくれた。感激するも心苦しかった。


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花山天皇は亡き忯子を皇后にしたかったが、先例が無かった。..
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光る君へ (6)二人の才女

(2024日)


道兼に6年前、母を殺されたと道長に伝えた夜、
泣きながら帰宅したまひろに父・為時は理由は聞かず左大臣宅に行かなくてもいいと言ってあげた。


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まひろはその言葉に感謝しつつも、左大臣宅に通い倫子と親しくなることで、
仇である右大臣家以外に繋がることが望ましいと伝え父は感激する。


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道長に父・兼家は、道兼の殺害の件は忘れて裏の仕事をさせる道具だと思えとした。


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道長はそのまま父の言葉を道兼に伝え傷つけよう..
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光る君へ (5)告白

(2024日)


まひろが家に運びこまれ目覚める。


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母を殺した道兼のことを胸にしまっておいてくれと頼まれる。
弟のことで兼家に頼らなければならないと説明もされるも納得できない。


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(義懐 惟成 実資)

藤原氏略系図を見ると、義懐の姉が花山天皇の母であり、道長の従兄のようだ。惟成は花山天皇の乳母子で側近だった。


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(公任 行成 斉信 道長)

藤原斉信は妹が入内していたが出世はまだだった。
公任がからかう。..
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光る君へ (4)五節の舞姫

(2024日)


三郎が無実で逮捕されたことで、まひろは散楽師に謝罪をを要求したが、
男は悪いことをしていないと居直る。


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まひろは三郎に素性を明かしたが、三郎から聞く前に
藤原宣孝が通り帰ることになった。次の散楽で会おうと伝える。


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(安倍晴明)

徹夜で、円融天皇の譲位と次の天皇の即位の日を占う。


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次の天皇である師貞親王は、藤原実資に蔵人頭を続けるようお言葉をかけられる。
が、実資は固辞。


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光る君へ (3)謎の男

(2024日)


永観2年(984)年、まひろが15で成人式を迎え、6年ぶりに再会した道長は窃盗の疑いで捕縛された。


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が、直ぐに釈放となる。
父兼家に服装や町を出歩いたことで叱られる。


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姉詮子が実家に帰っており息子である懐仁親王が道隆夫妻の娘と遊んでいた。
後の一条天皇と皇后定子だった。


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安倍晴明から、円融天皇の邪気払いをし重い荷物を降ろすという表現で
譲位を勧めたとの報告を受けた兼家はほくそ笑む。


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光る君へ (2)めぐりあい

(2024日)


永観2年(984)年、まひろが15で成人式を迎える。
母の死から6年経っていた。


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(藤原宣孝 藤原為時)

為時は東宮の漢籍指南役だった。が除目では外されていた。
右大臣兼家との関係が理由だと考えていた。


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(関白藤原頼忠)

検非違使増員で治安対策を行っていたが上手くいかなかった。
兼家の手前もあり声が小さくなっていた。


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右大臣兼家は別当を代えて褒賞を導入するよう主張。
円融天皇は..
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光る君へ (1)約束の月

(2024日)


貞元2年(977)年、後の紫式部は京の下級貴族藤原為時の子として過ごしていた。


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(藤原宣孝 藤原為時)

為時は、八省の1つ式部省で働きたいと大納言兼家へ申文をたてまつっていたという。
漢詩の会での知り合いではあった。
友人宣孝は、今から兼家宅へ行って推挙をお願いしてこいと念を押させる。
式部少丞の願掛けを妻は行っていた。


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貞元3年(978)年正月、除目(じもく)という人事の会議が行われた。
為時の申文..
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