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麒麟がくる (22)「京よりの使者」

(2020日)

永禄7年(1564)、桶狭間の戦いから4年経った。


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越前に逃れた明智家だった。子だくさんのようだが、
この作品では、長女の岸、次女のたまに恵まれており、
訪ねてきた細川藤孝にたまを抱かせて、息子の忠興の妻となる伏線とした。


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藤孝に京にて将軍の足利義輝と能を観るよう言われ、朝倉義景に挨拶する。
留守のことを心配するな、と意味ありげに言われる。


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京にいた駒が望月東庵から離れ、伊呂波太夫を訪ねると、
関白の近衛前久がいた。藤原家を源流とする5摂家で第17代当主だった。
伊呂波太夫は近衛家で育てられたが子守りをした経緯があった。


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京で実権を握っている三好長慶が将軍が朽木へ逃げている間に、
天皇との間で改元を実行したこともあったので、義輝は長慶暗殺のことばかり考えるほどの慢性的ブルーだった。

近衛前久は、大和の多聞山城にいる家老の松永久秀を訪ね、
更なる三好による改元の申し出を却下したことを伝えると同時に、
義輝暗殺計画に久秀の息子の久通が加わっている噂を突きつけ反応を探った。


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久秀がとぼけるが、全く知らなかったようにも見えた。


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そのころ、坊主が村で施しをしていたので後を付けた駒だったが、
後の足利義昭だった。次々と知り合いになる強運の持ち主だった。


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京で能を観た後、義輝は光秀に暗殺計画が愚であったと正直に語った。
誰も上洛に応じないことを嘆いた。


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光秀は、尾張の織田信長を上洛させると義輝を元気づけた。



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NHKオンデマンド 麒麟がくる (22)「京よりの使者」



永禄7年(1564)7月4日、河内、飯盛山城にて三好長慶が永眠した。
次々に弟や息子が死に、衰弱していた。

時代が、義輝に移るかに思えた。





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