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光る君へ (7)おかしきことこそ

(2024日)


寛和元年(985)7月、花山天皇の女御忯子が他界する。
道長の父・兼家の弟為光の娘であり懐妊していた。


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兼家は、お腹の子への呪詛を依頼したが母まで頼んだ覚えはないと安倍晴明を責めるも、その方が兼家にも国にとっても吉だと居直る。


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花山天皇は兼家と繋がっている人間ばかりで、信頼できるのは義懐と為時だけだと言ってくれた。感激するも心苦しかった。


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花山天皇は亡き忯子を皇后にしたかったが、先例が無かった。
義懐は皇太后にする先例があったことで花山天皇の意を実現すべく、
忯子の父為光にも光栄なことではありませんかと求める。
義懐も為光の長女を正室にしていた。


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とはいえ、為光は「残念ながら難しいと存じます。」とした。
兼家は「先例が見つかればよろしいかと」と調べることを許した。


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道兼は義懐が参議となったことに腹立たしかったが、
道隆は東宮の祖父が父であることで大局的に考えており冷静だった。
父による道兼への扱いを知った上で弟に優しくする。


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為時は久しぶりに東三条殿を訪ね兼家に暇乞いをした。
間者役が心苦しかったからだったが兼家は優しく応じてくれた。
まひろは正しい判断としたが、宣孝は東宮の即位で官職が解かれるので今すぐ取り消してこいと怒る。家でいろいろ世話してくれる いとさんも加わる。


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NHKオンデマンド 光る君へ




打毬をすることになる。
イギリスのポロの原型となったペルシャを起源とする競技だった。
試合当日、行政が腹痛を起こし急遽、直秀が道長の弟として参加することになる。

試合が終わり、4人の着替えの際の会話をまひろが聞いてしまうことになった。
また、左腕の矢傷の跡に道長が驚くが、直秀は立ち去るまひろが気になっていた。






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