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小原克博「近世の宗教」(講義「日本宗教」第8回、同志社大学) [講義等]

(2015日)
近世カトリックとの邂逅から江戸となり、禁教、乱、檀家制度となる。
江戸中期に、本居宣長が漢心の排除、平田の神仏習合批判で理論の構築、
維新にて神仏分離が実践され、廃仏毀釈となる。
明治6年の禁教令撤廃までの新政府でも「浦上四番崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧を行っている。

日本は多神教で「寛容」だと言われているが、
実際は明治の翻訳語で、元は中世教会法の「Tolerance」だった。



----memo

1534 パリでザビエルら イエズス会 
   上智 現教皇

   IHS イエスース イエズス会の紋章

1587
97 26聖人 20日本人 ほとんど京都 病院勤務 耳切る
スペ4 メキ1 ポル1 全男   長崎


1865  長崎 大浦天主堂完成 見学者 隠れキリシタン→神父 
       信徒発見

67 弾圧 浦上四番崩れ



1619  元和キリシタン殉教

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フランシスコ会、アウグスチノ会、ドミニコ会も来日

1613 禁教令
28 踏み絵

37-38 島原 殉教 無抵抗で

64 檀家制度


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本居宣長
 『古事記』の「聖典化」
  天皇 一元的な系譜の確立
  漢意(からごころ)の排除

   →神仏分離

日本的古層の再発見と創作
古典の再聖典化(re-canonization)
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