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西郷どん (10)「篤姫はどこへ」

(2018日)嘉永7年(1854)吉之助は「お庭方」となった。
仕事柄、越前福井藩主松平春嶽の下で動いていた橋本左内と出会うこととなった。

斉彬が一橋慶喜を次期将軍に据えることと、篤姫を13代将軍家定に輿入れする2つの計画を同時に進めていることを知る。

篤は当然に次期将軍を産み育てることを考えることとなるが、
斉彬は家定が病弱なことも知り、篤が不幸になると予見した上で話を進めている。

かなり自己中だが、後に篤が反慶喜となったり二度と薩摩に戻らず金銭援助も受けなかったのも
薩摩と決別したのだろう。

また、安政5年(1858)夏に斉彬は死亡するが、目的のためとはいえ、
人を駒にしすぎた罰なのやもしれません。


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NHKオンデマンド 西郷どん (10)「篤姫はどこへ」
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