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翔ぶが如く (2ー7) 破裂弾中の昼寝

(1990日)

明治5年、洋行中の大久保から手紙が届いた。

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「隆盛」と父の名を誤って届けた吉井友実を「友春」とワザと間違える大久保のギャグなのやもしれません。
吉井友実は1891年に死去するが、1894年に産まれた孫に「友春」が使われることになった。



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大蔵大輔の井上馨(長州)は陸軍に800万の予算要求満額を認めた。
司法省や文部省は50万程だった。
山縣有朋(長州)が陸軍大輔をしていたこともあり、
司法卿の江藤新平(肥前)は確か「長州政権」と吐き捨てた。
西郷(薩摩)や板垣(土佐)はヤレヤレといった様子で見ている。



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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第7回 破裂弾中の昼寝

明治5年(1872)6月22日~7月2日にかけて明治天皇の従者として
鹿児島に帰郷したが、久光に挨拶しなかった。
海江田信義が西郷に久光に詫びるよう説得。
11月に戻ることにした。
14か条の詰問状の内、4が西郷への非難で10が新政府への怒りだった。


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