SSブログ

翔ぶが如く (2-8) 遣韓大使志願

(1990日)

明治5年(1872)4月、大久保の慰労会がパリで行われた。

tobu1.jpg


留学中の大山巌はフランス語と砲術を学んでいた。
川路利良は司法省からの視察団で欧州各国の警察制度を学んでいた。
村田新八はアコーディオンが上手かった。


その頃、日本では山城屋事件で山城が自殺し、山縣も辞職する。

tobu2.jpg

江藤の努力で4月に陸軍大輔の辞職に追い込んだ。
井上馨も大蔵大輔を辞職する。

4月19日に、土佐の後藤と肥前の大木・江藤の3人が参議に加わり7名となった。
7月に木戸が帰国するが、6月12日の廟議は三条と6名で行われる。


tobu3.jpg
NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第8回 遣韓大使志願


西郷は、身体上からも遣韓大使を最後の仕事としたかったが、
殺されて戦争になるのも困るので大隈は反対する。

大久保も反対だったが、西郷の自信と覚悟で賛成し、
8月に正式に西郷の遣韓使節が決定した。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。