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西郷どん (44)「士族たちの動乱」

(2018日)

明治6年(1873)11月、鹿児島に戻った西郷吉之助だったが、
西郷を慕い、次々と薩摩人が戻ってきた。
陸軍、近衛兵、警察などから600人の数に上ったという。


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(別府晋介、桐野利秋、篠原国幹、辺見十郎太)
彼らは西郷を東京に引き戻そうと来た。
別府は、陸軍少佐、朝鮮の偵察をしたようだ。
桐野は陸軍少将、陸軍裁判所所長。
篠原は陸軍少将、近衛局長だった。
辺見は、篠原の下で近衛陸軍大尉、三国志の張飛のようらしい。


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村田新八と川路利良が洋行から戻ってきた。
別々だったが帰国の時期が重なったのやもしれない。
川路は警察制度の整備にまい進する。


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(大久保満寿、おゆう)
西郷の下野、強権政治と薩摩の大久保宅では住めなくなり、
東京で暮らすこととなる。
互いに「お世話になってます」と火花が走る。


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明治7年(1874)2月、「佐賀の乱」
3月1日、逃げだした江藤新平は西郷に決起を促すも拒否され、
捨て台詞を吐き出ていった。


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自宅に招いた青年のアコーディオン芸を楽しむ家族たち。


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佐賀の乱から大久保が帰ってきて、今後について話し合う。
が、江藤を前近代的な晒し首にしたこと、木戸をはじめ引き気味だったが、
岩倉は笑っていた。
江藤の生首写真を回覧して笑ったのなら並の神経ではない。



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西郷どん (44)「士族たちの動乱」

西郷は鹿児島県令の大山綱良に頼み「私学校」を作った。
不平士族の学びの場で、篠原が銃隊学校、村田が砲隊学校を監督。
軍事や漢文を教え、午前9時から12時だったようだ。
吉野開墾社では昼に開墾、夜に勉強だった。


桐野利秋は、西郷に東京で政治を変えて欲しかったが断念した。
3度も説得しようとし失敗し、派手に立ち回って登場した。
「お世話になりもす」
桐野は深々と頭を下げた。




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