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おしん 173~175回 自立編

(1983日)

大正12年(1923)9月1日の大震災で東京から佐賀の田倉家へ移り、
翌13年の晩秋、東京の露店で軌道に乗りかけるも、
14年(1925)に山形に実家に帰った。そして酒田の加賀屋のくにの臨終に立ち会い、
初夏に一膳飯屋を始め、加代と共に働いた。

が、翌大正15年(1926)まだ雪の残る中、伊勢で魚の行商を始めた。
網元の神山ひさ宅でお世話になる。浩太の母の妹だった。


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昭和2年(1927)となるが、近況の手紙を出したものの竜三から返事はなかった。
ひさは、おしんに「諦めろ」と説得するが、そういう訳にはいかなかった。
ようやく手紙が来たが、有明海の干拓があり、伊勢に来る気はないとのことだった。


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その年、台風が日本を襲った。
漁ができなかった朝、他の行商は休業だったが、
おしんは味噌漬けを販売した。


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が、佐賀では、田畑も有明海の干拓も諦めざるを得なかった。
母の清は夫と息子が無事だったことを喜んだが、
竜三は4年間を思い、涙した。


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翌朝、竜三の置手紙に母も泣いた。


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竜三は、満洲に向かおうとしたが、その前に伊勢に寄る。
おしんと雄の無事を確認して去るつもりだったが、目が合い、竜三は思わず逃げた。
が、負けてしまった。


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3年だった。


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NHKオンデマンド おしん 173~175回 自立編


おしんの説得に応じず、翌朝、満洲に向かうこととなるが、
朝の仕入れからおしんの仕事を見、自分で運び、
竜三は、満洲行きを撤回した。






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