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おしん 186~188回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和4年(1929)秋に次男の仁を伊勢で出産した。
翌年の春、りきからの手紙で加代の夫が自殺したと知る。
又、浩太が現れ、加賀屋の倒産と、自殺の原因が相場に手を出したことと知った。


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昭和6年(1931)の春となり、浩太が100円と加代の住所をおしんに手渡した。
おしんに行ってくれとのことだった。東京だった。


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竜三に話し、翌日に東京に向かうこととなる。
が、住所地は震災前はいかがわしい所だったので、
竜三はおしんに「覚悟」を求めた。


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髪結いの師匠宅を訪ねた。16でお世話になり15年経った。
事情を話すと、「行くな」と言われる。
が、その選択肢は無いので、健さんに同行してもらうこととなった。


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夫の自殺と加賀屋の整理の後、父母と希望の4人で東京に来たが、
清太郎は脳卒中で他界し、母は入院することとなった。
その入院代を得るため、加代は500円を借り働くことにした。
その母も間もなく他界。襖を開けると骨壺を2つ保管していた。



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NHKオンデマンド おしん 186~188回 太平洋戦争編


おしんが帰った晩、加代はおしんに手紙を残して骨壺に挟んだ。
浩太からの100円を父母の墓にと同封し、希望(のぞみ)を託した。

翌朝、おしんと健が訪ねると、血を吐き、眠っていた。
酒でいつ死んでもおかしくなかったようだ。

加代と所持品、希望を引き取る。


翌日、希望を背中に、3つの骨壺を手にして、伊勢へ向かった。





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