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徳川慶喜 第26回 生麦事件

(1998日)

文久2年(1862)6月に勅使が江戸に着き、
一橋慶喜の将軍後見職、松平春嶽の政事総裁職を幕府に飲ませた。


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久光は、慶喜と春嶽に勅使の大原との会談の席に同席したかったが、
老中らは無位無官の久光を外したかった。
久光は老中を外したかった。

久光にとっては、「してやった」との思いだったが、
慶喜と春嶽は、頼んだ覚えはなかった。


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すったもんだの末、大老たる政事総裁職がいるので老中は外し、
久光が加わった。(7月23日)


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大原は11か条の要請を行った。

・安政の大獄で動いていた前京都所司代の酒井忠義がまだ京都にいるのでさっさと引き取れ。
・新所司代に決まった松平宗秀もダメ。
・大坂城代の松平信古も更迭。
・和宮の御守殿造営

だった。

慶喜は全て承知し、今後も何でも言って欲しいと丁重に言ったが、
聞けぬこともあるので承知してくだされ、と釘を打った。

実際は、↓だったようだ。
http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/kyou/8/081862-kaiken6hcokusi11.htm

この席で、慶喜は久光に一橋邸へ招くことを伝える。


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(島津久光、松平春嶽、一橋慶喜)

慶喜は久光を招き、この席では丁重にもてなした。
が、久光の望みであった藩主の地位を得ることはできなかった。



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徳川慶喜 第26回 生麦事件


8月21日、江戸を発ち、生麦で事件が起こった。
久光は、宿により、茶を出させた。
そこへ大久保一蔵が行列を横切った外国人3名を切り1人が死亡したと報告。

久光は、事前に通告していたので問題なしと帰路についた。







(2019/12/14 0:13)
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