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青天を衝(つ)け (20)「篤太夫、青天の霹靂(へきれき)」

(2021日)


慶応2年(1866)7月、家茂は倒れた。


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慶喜が見舞う。長州だけは倒したかったと家茂は語る。3日後他界。


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家茂は天璋院には次の将軍は田安の亀之助と伝えていたが、
まだ幼児であり老中は反対。一橋しか考えられなかった。
和宮は家茂の苦しみを慶喜に味わわせたかった。


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慶喜は、家茂が幕閣に将軍職を慶喜に譲りたいと語っていたと
老中板倉勝静に確認し、引き受けることを決断。
但し、徳川に大ナタを振るうとも付け加える。


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数日後、慶喜は参内。徳川宗家を継ぐことにした。
孝明天皇は必ずや長州を討てと命じた。


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長州再征討にて御用人手附を仰せつかった。大出世だった。
平岡円四郎殺害の水戸浪士2人を殺した川村恵十郎は一橋家での1年先輩だった。


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長州征伐はかなわず、慶喜は和議を進める。
交渉には勝麟太郎を行かせ、関白に話をつけることにした。
孝明天皇は攘夷も長州征伐もかなわず嘆き、岩倉具視を懐かしむ。
蟄居中の岩倉に薩摩の大久保が接触していた。
大久保が薩摩と長州が倒幕に舵を切ることを話すと狂喜する。


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大沢源次郎なる謀反の疑いある禁裏御警衛番士を捕まえに行くこととなった。
が、危険なので新撰組が警護することになった。


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戦闘となり危機となったが、新撰組に助けられる。
共に百姓だったことを知る。
栄一は倒幕すべきだと考えていたにもかかわらず幕臣となり、
矛盾をかかえていたが、土方は後悔せず己の仕事に忠実であろうとした。


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(栗本鋤雲、小栗忠順)

2人にとって慶喜は面白くなかったが、慶喜を上様とする他なかった。
パリ万博の件を慶喜に確認することにした。



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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


小栗から手紙を受け取った慶喜は、訪欧使節団の人選を考え始めた。






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